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【Vol.1】『ぷよぷよを手掛けた米光氏が語る、 おもしろい環境で働き続ける秘訣とは』 クリエイターヒストリア#1

クリエイターヒストリアとは

クリエイターヒストリアは、ゲーム業界でお仕事をしているデザイナー、プランナー、マーケターなどのクリエイター向けに、キャリアパスをテーマに実施するセミナーイベントです。業界で成功を納めているクリエイターはどのようなキャリアを歩んで行ったんだろう…今に至るまでの努力や道のり、人生の転機等その歴史に迫っていきます。
今回は、本シリーズ記念すべき第一回目となる米光さん登壇イベントのレポをお届けしたいと思います!

 『ぷよぷよを手掛けた米光氏が語る、 おもしろい環境で働き続ける秘訣とは』?
Game Creators Guild(ゲームクリエイターズギルド)主催。
第一回は、誰もが一度は遊んだことがあるあの「ぷよぷよ」を手掛け、デジタルゲーム、アナログゲームなど幅広くデザインする、池袋コミュニティ・カレッジ「表現道場」の道場主でもある、米光 一成(よねみつかずなり)氏をゲストにお迎えし、インタビュアーのゲームクリエイターズギルド主催の宮田が、キャリアの歴史を紐解きます。

詳しくはこちらから!

Q. ゲーム業界に入ろうと思った理由

宮田氏

まずさらっとクリエイターヒストリアとはなんなの?って点について話したいと思います。色々な方のヒストリー、歴史を深掘って、みんなのキャリア形成や、この先どういう風にクリエイターとして進んでいくのかの参考にしてもらいたいと思っています。また、ストーリー、歴史を自分で作っていくのも面白いよね、とGCGでは思っています。なので、本シリーズは「ヒストリーポイント」と「トラックレコード」の二視点で話を進めていきたいと思います!

それでは米光さんの話を聞いていきたいと思います。最初のポイントは…ファミコン全盛期。新卒かな?最初ゲーム業界に入ったと思うのですが、米光さんはどんな学生だったのですか?

米光氏

僕、英語英文科だったのですが、さして志があって英語を学ぼうと思っていたわけではなく、なんとなく行っていた大学生です。のほほんとした学生でしたね。

宮田氏

ゲーム学科とかではないのですね。

米光氏

ああ、時代的にそういうものは存在しない…と言うよりもゲーム業界という言葉すらない時代でしたね。卒業した年が’84年なので、ファミコンが出たすぐ後ですね。就活的にいうとカテゴリーは…ない。

宮田氏

そんな状況の中、どうしてゲーム業界を選ばれたのですか?

米光氏

「普通の会社は務まらん」という正しい自己認識の下、普通の会社に行くと双方に嫌な思いをすると思ったので普通じゃない会社にしよう、と。ファミコンやMSXはあってゲームは遊んでいて好きだったので、ゲーム作るのは面白そうだな、と元々思っていたのですよ。一応募集しているセガさんとかの説明会に行ってみたのですが、当時住んでいた広島には社長さんも来なくてビデオメッセージのみだったので、退屈して寝ちゃったので…。

もう一つ、広島に小さなゲーム会社があることがその後分かったので、そこの面接…というか説明会があったので行ってみようと思ったらマンションだったのですよね。あの、普通に人が住んでいる。後から分かったことなのですが、そこに社長が住んでたんです。そこにいつの間にか人が集まってきて、隣の部屋も借りて2部屋で会社にしてる状況だったんです。まあ怪しい、と(笑)。2部屋なのでどっちのチャイム鳴らせば良いのか分からないし。まあ、で、鳴らしたら社長がスリッパで出てくるのですよ。ますます怪しい(笑)。中に入ってみるとデザイナーさんとプログラマさんが冷凍マグロでチャンバラごっこしていたのですよ。ブーンって。そこで、あ、これは行っちゃダメな会社か、こここそが行く会社だな、と理解しました。話してみるとゲーム作りはちゃんと頑張ってやっている、移植も素晴らしかったので、良い会社だし、僕でもやっていけるかもと思い、入りたいと言いました。

当時はゲーム会社に行きたいという人もいなくて競争とかもなく、6人位面接に来て、その内4人位入社、みたいな感じでした。

宮田氏

すごいですね(笑)!逆に入社を止められる、とかありそうですよね。

米光氏

ああ、ありましたね。親戚のおばちゃんとかは「あんたそんな所入ったら来年その会社ないよ」と言っていました。ゲーム自体が流行りもの、という認識で。ダッコちゃんとか一年でなくなったのよ、と説得されたのですが、やっている側だとコンピュータゲームはそんなすぐなくならない、という実感はあったので大丈夫だろうと。

宮田氏

新しい市場がこれから出てくるというか…今でいう数年前にユーチューバーになる!と宣言するようなものですよね。

米光氏

ああ、近いかもしれないですね。ユーチューバーになるとか言い出すと親は心配するし。何言っているのあなたは、みたいな。

宮田氏

はい。でも市場もちゃんと大きくなって…。

米光氏

そうですね。プロダクションとかできてちゃんとやっている所はちゃんとやっているので。

宮田氏

若い人の感性的には、米光さんもこれからゲーム市場が大きくなる、という感覚があったのでしょうか?

米光氏

大きくなるかは分からなかったのですが、自分の好きなことだったし、親戚の人が言うように、そんなすぐなくなるものじゃない、という認識はありました。

宮田氏

なるほど。それで、コンパイルさんに。今でこそなくなっちゃったのですが、ゲームの会社としては当時、そして数年後も大きい会社という認識だったのですが、米光さんが入った時はまだまだ立ち上げの時だったのですね。

ただ一人のプランナー、新卒入社!

米光氏

そうですね。僕が入った時は10、20人位…20人いなかったと思います。部活みたいな感じでワイワイゲームを作っていたので、いわゆる「プランナー」とか「ディレクター」みたいな人はいない

プログラマ、デザイナー、サウンドが話していて、面白そうだよね、作るか、となってすぐ作るみたいな。その当時は規模もまだ大きくなく、簡単に作れたのですぐにできた。それに作って、売ったらそこそこ売れるので。そんな感覚で作っていると、ファミコンが出て一年経ったぐらいの頃に規模が段々大きくなってきているのですが、途中で「飽きたね〜、次いこうよ!」という感じでほっぽり出すことが出てきちゃったのですよ。そこで、これからはきちんとスケジュール立てて、最後までちゃんと作っていくようにしないとな、と社長が感じ始めていた位の時期でしたね。

なので僕、一応プランナーという職種で入ったのですが、後から社長に聞いたらプランナーという職種が成り立つかその当時はまだ半信半疑だったけど、とりあえずスケジュール管理とかしてもらおうかな、と思って入れたと言っていましたね

 

宮田氏

なるほどです。他の社員や先輩の中にプランナーという職種がないということですね。その中で一人。企画書とか、先輩がいない中作っていくの大変じゃなかったですか?

米光氏

うーん…と、いうよりはなんか謎の自信があって、できるわーとか思ったりしていたので…。

宮田氏

入って早々に企画とか、プランナー一人なので先輩と一緒に早速作っちゃう、みたいな…?

米光氏

そうですね。

その頃はシューティングゲームを作っていて、自社でも出そう、となり…アレスタですね。それを作る際に企画として参加する。シューティングってデザイナーとかプログラマが中心となって作っていく、僕はお手伝いとして入っている、という感じだったので…。あ、でも結構喧嘩とかしていましたよ。「その設定ダサいですよ〜」と言って不況買ったり(笑)。僕が入ることによって、部活天国状態が終わりつつある、そろそろ整理していかないとダメだよね、という空気感も社内に流れ始めていた時期だったので、それが許される空間、というか雰囲気でもありましたね。

 

宮田氏

はいはい。先輩と一緒に活動して作っていく。

米光氏

先輩たちが第一世代、僕はその一個後の世代、という認識でいます。第一世代は、本当に商売になるか分からないけど、趣味みたいに作っていく、パソコンショップの2階で作っている、出来たら雑誌に出して通販で売る、みたいな。僕はその世代ではなく、次の世代。

 

宮田氏

なるほど。めちゃくちゃ面白そうな世代ですが、大変なこともある、ということですね。それではそろそろヒストリーポイント2にいきますか。

ここでついに「トラックレコード」。オリンピックとかで新記録でました!みたいな感じでトラックレコードという言葉は出てくると思うのですが、それをキャリアの中で置き換えて、ある代表的な一点、ここでなにか結果が出たぞ!というポイントで表記しています。というわけで、よく一緒に紹介される「ぷよぷよ」の誕生という所。歴史的な局面としては、マーケットが収束していたファミコンディスク版、MX版で作らなければいけないミッションだった、と聞いているのですが、そこの所詳しく聞きたいです!

ぷよぷよ誕生への道のり

米光氏

テトリスが出て、衝撃を受けたんです。というのも、丁度テトリスが出た時、アーケードのゲームも含めて規模が大きく、グラフィックも綺麗で、巨大で、マップもでかい!という風潮になってきている中で、テトリスのようなシンプルなゲームが出たというのがあったので、コンパイルでもシンプルなゲームを作りたい、となったのですよね。

僕じゃない人が最初落ちゲーを作っていたのですが、それが面白くない。プロジェクトを中止するか?と先輩たちが話していて、まあ、あんまり聞こえが良い会議じゃないので喫茶店でやろうって言ってたのですね。わー、喫茶店でやるなら、僕も行きたいって言って、ついて行ったら、会議が終わる時には、一番の若者だった僕がプロジェクトを引き継ぐ事になってしまった。もうメンバーは他のプロジェクトに移っていて、メインの仕事が終わった後でしか時間が取れない、と。放課後の部活みたいなノリで作らされていて、でも、だからこそ自由に作れました。

 

宮田氏

じゃあ期待値高いメインプロジェクトとかではなく…

米光氏

あ、ではないです。僕の方も別のプロジェクトに関わっていて、それが終わった後にこっちくる、みたいな感じでした。他にも、本来だったら後1ヶ月で終わらせないといけない!みたいな状況だったのですが、ほぼみんな存在を忘れ去っていたのであと3、4ヶ月位制作できることになったのと、プログラマもやる気なくしていたし、もう要素全部とっかえよう!と踏み切りました。それまでとは全然違う落ちゲーにしようと考えたのが「ぷよぷよ」です。

 

宮田氏

なるほど。それで「いける!」と思ったのはどのタイミングですか?

米光氏

ルールを面白くしようとして、ずっと変えていたのですよ。当時はテストプレイヤーがいなくて、デザイナーさんがテストプレイしていたのです。いけるな、と思った瞬間は「終電になるからもう帰りなよ」と言ったのに「あ、もうちょっとテストプレイしていくので大丈夫ですよ」と返された時です。それテストプレイちゃうやん、ただ遊びたいだけやん!(笑)となって。対戦モードに熱中しているのですよ。僕の言葉全然聞いていなくて、「もうちょっとやります!」という状態になっていたので…あ、これは面白いんだ!とちゃんと実感持てました。ちゃんと仕上げれば売れるんだろうな〜と。

 

宮田氏

なるほど、仕事から遊びに変わっちゃっている。結果としてシリーズとして長く続く…2も出たタイトルですものね。やっぱり分からないものですね〜。メインのタイトルじゃなくても花開くものもあるのですね。それでは、ぷよぷよ誕生というところでは結構紆余曲折あった結果なのですね。

米光氏

そうですね。あと、引き継いだというのも大きくて…お陰でドヨンとしていた空気を無理やり変えることができました。最初から自分のプロジェクトだと途中から変える事は大変ですが、引き継ぎなので、全然違うゲームにしよう!と言いやすかった。前のゲームがサイコロ降ってくる、みたいなゲームだったのですよ。足して消えるみたいな。

テトリスが大好きで、二番煎じにはしたくなかったんですね。テトリスの好きな部分を書き出して、その要素を検討していくと「ソリッド」っていうキーワードが見えてきたんです。硬いブロックが落ちてくる。一直線に揃うと消える。テトリミノという数学的な構造体である。キャラクターは出てこない。好きなところはソリッドなところなんだって気づいた。だからこそ、それをやめよう!と決断して、「柔らかさ」をコンセプトにしたんです。振ってくるものも柔らかいヤツ。タイトルもぷよぷよですからね。キャラクターも出くるし、対戦相手がいる。まっすぐに繋がらなくて曲がってても消える。ソリッドの正反対で、ぷよぷよした落ちゲーにしたんですよ。

 

宮田氏

なるほど…。あ、質問が来ていますね。新参者の米光さんが周りから認められるようになるきっかけ等の出来事があったら教えてください。

米光氏

認められていたのでしょうか…。本当に、言い合いとか喧嘩しながら進めていたので…認められたのがいつなのか分からないです(笑)。

 

宮田氏

最初から最後まで熱く、「これが絶対だろう!」という感じだったのですかね。仲間も、上下関係なく。

米光氏

そうですね。認め合うというよりは、最初から認め合っていた。ゲーム好きで、ゲーム作りたい!という気持ちだったので、もしかしたら最初からそういう環境だったのかもしれません。

 

宮田氏

なるほど。それはすごく面白い環境というか、やりがいのある環境でやってきたというわけですね。

米光氏

そうですね。変な人たちで、プログラマとか天才なんです。天才すぎておかしい人多いというか…。そういうところでは認め合っているけど、人としてはそうでもないかも、という…(笑)。

 

宮田氏

クリエイターとしては認め合っている、という(笑)。

米光氏

はい。すごいと思っているしリスペクトしています。

 

宮田氏

はい、ありがとうございます。それでは歴史の針をもう少し進めて…スティングさんという新しい会社に移籍したのですよね…

 

ゲーム業界に入った経緯、最初の会社、コンパイルでの環境、そしてぷよぷよ誕生まで第一部で聞くことができました!ぷよぷよが予想外の状況下で生まれていましたね…。知っていたコアなファンもいるのかな?
次回のvol.2では移籍後の会社でのお話を主にレポしていきたいと思います!

つづく!

登壇者ご紹介♪

■米光 一成(よねみつ かずなり)
ゲーム作家/ライター/デジタルハリウッド大学教授/日本翻訳大賞運営/東京マッハメンバー。代表作は『ぷよぷよ』『はぁって言うゲーム』『BAROQUE』『はっけよいとネコ』『記憶交換ノ儀式』等、デジタルゲーム、アナログゲームなど幅広くデザインする。池袋コミュニティ・カレッジ「表現道場」の道場主。宣伝会議「編集ライター養成講座 即戦力コース」専任講師。著作『自分だけにしか思いつかないアイデアを見つける方法』(日本経済新聞出版社)、『思考ツールとしてのタロット』(こどものもうそうブックス)等。
▼Twitter
https://twitter.com/yonemitsu

■宮田 大介(みやた だいすけ)
株式会社オルトプラス ゲームアライアンス事業執行役員/ゲームクリエイターズギルド主催
大学卒業後、在学中にお世話になった職人の元へ弟子入り、鉄材があれば何でも作れる職人のものづくりをネットビジネスの視点から支援。
設立間もないオルトプラスにフロントエンジニアリング兼なんでも屋として参画。プランニング部部長、第二ゲーム事業部の事業部長等を経て、オルトプラスもマザーズ、東証一部上場と成長。その後、日中韓での3拠点でのゲーム新規開発プロデュースや韓国支社の立ち上げメンバー、高知にてSHIFT社とのジョイントベンチャーの立ち上げなど、諸国を放浪する。
現在は、ゲームアライアンス事業を設立。ゲーム会社同士のマッチングコミュニティサービスである「ゲームコミューン」やゲームクリエイターの相互教育コミュニティである「ゲームクリエイターズギルド」、ゲームのマーケティング事業等、ゲーム業界を活性化するための新規事業の立ち上げを行っている。
▼ゲームコミューン
https://www.gamecommune.jp/
▼ゲームクリエイターズギルド
https://game.creators-guild.com/

ヒストリア#2にも是非ご参加下さい!

 クリエイターヒストリア#2


第二回は、ゲームグラフィックの常識を大きく変えた「ファイナルファンタジーVII」に携わり、現在もテクニカルアーティストとして第一線で活躍する神崎建三氏をゲストにお迎えし、インタビュアーのゲームクリエイターズギルド主催の宮田が、キャリアの歴史を紐解きます。
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ノウハウ還流の場やクリエイター同士のコミュニケーション機会など、
クリエイターの生涯活躍を支援する活動をしています。
会社の垣根を越えて、業界全体が協力してクリエイター育成が出来る
仕組みづくりを日々模索しています。
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