2020年12月19日(土)に『ゲームクリエイターズEXPO2020』開催します!

【Vol.3】『U30クリエイター応援企画!第一線で活躍し続けるゲームクリエイターの20代の過ごし方@オンライン』【イベントレポ】

U30クリエイター応援企画とは

20代の仕事が未来を作る。
ゲーム業界でキャリアをスタートさせ、現在、第一線で活躍するプロデューサーは、どのように20代を過ごしたのか。
本セミナーは、活躍する先人から自らの経験をシェアいただき、ゲーム業界で頑張る若手の方々のヒントにしていただくことを目的に開催しています!
今回は、『ep.4 第一線で活躍し続けるゲームクリエイターの20代の過ごし方』トークイベントのレポをお届けします!

 『第一線で活躍し続けるゲームクリエイターの20代の過ごし方』って?
Game Creators Guild(ゲームクリエイターズギルド)主催。
今も現役でゲーム業界の第一線で活躍されているゲームクリエイターの方が、20代のキャリアのスタート地点からどんなことを考えて行動し、どのような分野で活躍してきたのかを知ることで、20代の若きクリエイターの皆さんにとって将来的なキャリア形成をしていくためのヒントにしていただくことを目的としたトークイベント。

詳しくは以下から!

ゲームクリエイターの楽屋でまったり by Game Creators Guild

ゲーム業界でキャリアを育て、現在も業界の第一線で活躍するプロ […]…

小井戸氏

さて、後半に進みたいと思います。まず柿沼さんは、グリフォン、というのが出ていると思うのですが、GREEとサイバーエージェントの合併会社ですね。ここに出向している時期があったようですね。その後、GREEに戻って、今はWright Flyer Studios (以下WFS)にいるようですね。

林さんは…安心しました。ようやくDMMに入社され、ゲーム事業部のDMM GAMESを立ち上げられた後に、フリーランスになったようですね。それでは、今回も深掘りしていきたいと思います。

絶対成功するはず…だったが!?人生一番の失敗

小井戸氏
柿沼さんからまた聞かせてもらいましょうかね。なんでグリフォンに行く事になったのですか?そして、行ってみて最初はどんな感じでしたか?
柿沼氏

そうですね。GREEに入ったのが2010年でグリフォンを作ったのが2013年なので、2−3年はGREEにいたのですけど僕、海外事業していたのですが、GREEが少し海外から国内へ再度力を入れていた時期だったのですよ。あと合弁会社を作るのが業界的に少し流行った…というのがありますね。やはり一社単体というよりは、協力して頑張ろう、業界を盛り上げよう、という雰囲気がありました。そんな中でサイバーエージェントさんとGREEという話が出て。当時サイバーエージェントさんとDeNAさんでCygames…もう知らない人はいないと思うのですけど、Cygamesがあるならこっちはグリフォン!、位の勢いと気持ちで作られましたね。

当時誰が行くか、という話になった時にサイバーエージェントさんは新卒の文化が強く、カルチャーがすごくしっかりしているので、能力どうこうよりそのカルチャーに合うかどうかが非常に大事と判断され、当時の僕は比較的若い方だし、ノリも合うんじゃないか?、という感じで採用となりました。

小井戸氏

なるほど。因みにGREE側からグリフォンに行かれたのって人数でいうとそれ程多くなかったですよね。

柿沼氏

そうですね。本当に数人で、マジョリティーはサイバーエージェントさん側だったので。

小井戸氏
なるほど。ある意味、全然違う会社に転職するのとほぼ変わらなかったと思うのですが、それこそカルチャー面等で、苦労されたことはなかったのですか?
柿沼氏

まあ、最初はやっぱり苦労、ありましたね。何が苦労したかってここの辺りは僕の今日の話の大きな部分になるのですけど、当時僕もヒット間違いなしだと思っていたのですよ。

小井戸氏

はい。そうですよね。サイバーエージェントとGREEですものね。

柿沼氏

そうなのですよ。サイバーエージェントさんもヒット作をめちゃくちゃ出しているし、GREEもプラットフォームとしてはすごく機能していたし、ユーザーさんもたくさんいたので。且つ、最初に出すタイトルは完全オリジナルじゃなかったのですよ。もう既にサイバーエージェントのグループ会社が海外に出しているタイトルで、海外では結構売れていたのですよ。売れているやつの日本版を出す、というプロジェクト。要素だけ見ると失敗するわけがない、というので出したらめちゃくちゃ失敗しまして。本当に出して一、二ヶ月でもうクローズするかの話が出ていて判断を迫られる位の状況でした。

最初がそれだったので、雰囲気が良くないというか僕がなにか発言しても、ぶっちゃけそれって柿沼さんの意見なのですか、GREEさんの意見なのですか、みたいな感じで。一応役割としてはサイバーエージェントがゲームを作る、うちがプラットフォームとして支援する、という形だったので、GREEも合併会社というのですごく支援はしたい気持ちと、最初に出したゲームがそこまで売り上げ立ち上がれなかった中で無理に支援するのは難しい、という狭間に立たされていたので、やっぱり最初はそこが大変でしたね。

小林氏

なるほど…。それは大変ですね。因みに柿沼さんの役割はどんな感じだったのですか?

柿沼氏

基本的には取締役で入って、マーケティングの責任者という側面も持ち合わせていました。マーケティング=ほぼGREEプラットフォームということもあってその時によくソーシャルゲームとかである…事前登録ですね。事前に取れたお客さんの熱量をまず上げて、登録してもらって、リリースの立ち上がりを上げる。立ち上がりで良ければ、そこから更にプロモーションをかけてみたいな人取りの設計とか業界用語で言うとKPIって言うのですけど、数字の設計ですね。大体売り上げがいくらいったら、これだけ広告宣伝費使って良いとかをめちゃくちゃ常に考えていたのですけど、初月でその設計が全部壊れたので(笑)。

小井戸氏
うーん(笑)。ほぼ計画を使わずに終わる、という…。なるほど。でもそれ、サイバーエージェント側からするとプロモーションのために来ていただいている訳じゃないですか。数字が出ないと、やっぱりこう、風当たりが強くなると思うのですけど、そういうのはなかったですか?
柿沼氏

ありましたね。先ほども言った通り、僕、プロモーションで来たのですけど、ちょっとプロモーションできるものがなかったので、一時期デバッガーをやっていました。あ、デバッガーというのはゲームの検証をする人でまあ、風当たりはあったのですけど、それはやっぱりサイバーエージェントさんの良いところで、結構率直に話してくれるのですね。要はもうあなたのことが信頼できませんと、ストレートに。なので、本音で話しましょう、ということで毎日三時間ずっと話して。僕は僕で自分に何ができるか、どうやってお互いの信頼関係を築いていこう等を考えながら話していました。

今思うと、やっぱり最初の方でそういう風に率直に言ってもらわなかったら、僕もGREEから行っている身なのでポジショントークみたいなのが出たかな、と思っています。なので、それはサイバーエージェントさんにすごく感謝している部分です。

小井戸氏

マーケターがデバッガーになるなんて役割超え、中々起きないですからね。そういえば、グリフォンには経営者…役員として行かれたと思うのですが、経営が苦しい時はどうされていたのですか?

柿沼氏

元々資本金がうん億円あった上で立てた合併会社なので、そのキャッシュが切れてしまうと会社も上がってしまう。そうならないように、資金繰りの所で言うと色々なコストカットしたりしていましたね…。

小井戸氏

私もほぼ同時期にGREEにいたのですが、結構そんな初めての挑戦が多い時期だったな、と覚えています。経営者として経験を積まれるのも多分初だし、プラットフォームからゲーム会社に移るのも初めて。初めて尽くしの中、今話してくれたような大変な状況ということで、その当時柿沼さんよく耐えているなと僕は思っていたのですが、実際どういう気持ちだったのですか?どういう風に自分なりに考えてその状況を乗り切ったのですか?

柿沼氏

なんでしょうね。僕当時辛かったのですよ。毎日唇の色紫、みたいな。しかも当時の上司は愛の鞭が強い方だったので、僕が本社に帰る度に会議室が揺れる、と言われていたり(笑)。ホワイトボードにばんばんばーんって叩かれるのですよ。「どうしてくれんすか、この数千万」という感じで。なので、周りの人からすると、壁ばんばんされていると、ああ柿沼さんまた帰ってきているんだな、という認識だったみたいですね。

小井戸氏

黒板乱暴に消しているだけですよ(笑)。

柿沼氏

そうですね(笑)。はい(笑)。僕、やりきるのが大事、とかそういうカッコ良いモットーはないのですが、ここで辞めたら何も残らないな、という気持ちはあったのですよ。なんとなく、ここで終わったら本当にそのままだよな、と思っていました。

他にも、二作目を制作する際にはサイバーエージェントさんとGREE、両社の経営陣や本体の経営陣含めて相談に乗ってもらえました。元々上手くいく予定だったので二作目以降は三作品とかを同時で作る予定だったのですけど、そういうのやっている場合じゃない、チームは本当に一枚岩にならなければいけないからタイトルも一本に絞ろう、ということで僕は、やっぱりサイバーエージェントさんと一緒に成功したいな、最後まで彼らと一緒にやりたいな、という気持ちが強くなり、最終的にはもう無我夢中でした。

小井戸氏

なるほど。でも、やっぱりさっきも言っていたような信頼関係や役割を変える度胸等、そういう所が柿沼さん的に大きいのかな、と今の話を聞いていて思いました。

続いて林さんに話を聞いていきたいと思うのですが、DMMさんが社員15人の時代があったとか。

ついにゲーム事業へ参画!ゼロからゲーム事業立ち上げの苦悩

林氏

僕が入社した時が2007年なので、DMMグループには結局13年勤めたのですけど、確かにそれ位ですね。DMM.comは会社のほんの一部で20人もいなかったです。

小井戸氏
林さんはどういった役割で入られたのですか?
林氏

前の社名がデジタルメディアマートだったのですが、アダルト関連の仕事をやっているのは僕も、もちろん知っていました。潰れないし大丈夫だと思うよ、と言われて入ったら、いわゆる動画配信系のコンテンツカウンター営業という形でした。アダルトビデオのメーカーさんだったり、一般系だとバンダイチャンネルさんとか東映アニメさんとか、あとはグラビア系メーカーも担当させて頂いていました。

小井戸氏

なるほど。ゲーム事業に参画されるようになったのは、どういうきっかけからだったのですか?

林氏

それですね。2011年の11月位にDMM GAMESというゲームサービスが事業部化される、という話があってそれ以前にもプラットフォームの開発とかで水面下で動いている人はいたのですが、事業部化されるタイミングで今のGAMESCOOから声かけられたのですよ。一緒にやらない?と。実は、僕はあまりゲームをやっていなくて…昔は格ゲーとかFPSはやっていたのですがソシャゲはいまいちピンとこなかったのですよ。自分で遊ぶ分にはコンソール系の方が多かったですね。なので、いやあんまりゲームとか分からないです、と言ったら東條さんが大丈夫大丈夫、と。まあ、大丈夫と言われたけどこの後本当の地獄が始まるんですけどね(笑)。

小井戸氏
笑笑。じゃあ結構軽いノリでゲームにも挑戦してみた、という感じですかね。
林氏

そうですね、軽いノリでした。当時僕も、これからDMMでどうしようかな、と迷っていましたし、立ち上げから何かに関わるという経験はしてこなかったのですよ。要所要所で新しいサービスが立ち上がって、そこの営業を少しやるとか、そういう開拓の方はやっていたのですが、本当にゼロから事業に関われるのは初だったので、腹括ろうと思いました

小井戸氏

なるほど。そこからゲームプラットフォームを立ち上げるわけなのですが、どんな困難がありましたか?

林氏

僕は、プラットフォームの運営とゲームを作る取引先探しの二つが主な仕事でした。取引探しというのは、いわゆるサードパーティ他のゲーム会社さんが作っているゲームをDMMのプラットフォームで出してくれる会社を探す、という事ですね。

当時は少し異例な状況でして、モバイルもあったのですが、市場的にはネイティブアプリに移動する発案もあって…DMM GAMESは業界で最後発にこの事業を採用したのですよ。うちは、元々PCで結構トラフィック持っていたので、僕たちはPCでいきます、と時代を逆行していくことにしたのですよね(笑)。片っ端からSAPさんや開発会社さんにテレアポしてたのですけど、10分、15分位で切られちゃいました。商談に行ってもサービスに対する理解を得られな事も多く立ち上げから2年間は全く結果出せなくて。

一緒に働く人達も最初の方は、僕みたいに他の事業から集められた人たちが主だったのですが、段々他所のゲーム会社でプロデューサーしていたような人が来始め、DMMでパブリッシングするタイトルをサードパーティが開発してという流れがきちんと出来上がり始めました。だから一番辛かったのは、初期の頃に話を聞いてもらえなかったことかな。

小井戸氏
先ほどから話を聞いていると、3年や4年、と耐える期間がとにかく長いな、と思っているのですが、どうやって耐え凌いでいるのですか?
林氏

ゲーム事業の立ち上げから関わってきて、なんで続けてこれたかと聞かれると、初期の段階で中々取引先に話を聞いてもらえなかったり、土俵に上がれなかった事が悔しくて。負けたくないな、いつか見返してやりたい、という気持ちはありました。本当そこだけですね。あとは、まあ、立ち上げから関わったので、この事業をでかくしたいという気持ちはありました。続けていくと自分の中で勝ち星が増えてきましたしね。入った時にゲームあまり知らない、と言ったのですが、そんな事言ってられないだろう、と思い直し、自分なりに勉強しました。ああ、こういう仕組みなんだな、と理解したり、他の方に色々聞いたり。改めてDMM GAMESの強みってなんだろう、と自分なりに噛み砕いていったり、壁打ちみたいなものをしていました

小井戸氏

なるほど。特に林さんに関しては、ゲームとは全く関係ない所からゲームに来て、ほぼ聞くこと、やること全部初めてだったと思うのですが、2年間も耐えて芽がようやく出てきたのですね。自分の能力的、経験的な面での芽が出るタイミングは、努力で積み上げてきたイメージなのか、ある一線越えるとある程度慣れていきなりやれるようになっている、なのか。どちらのイメージですか?

林氏

まず、基本的なビジネスの観点から見ると、共通する部分はあると思っています。あとはそこに、その業界のお作法とかを取り入れていく。そういう要素を自分の中で組み合わせていく感じです。ゲームでいうと、積み上げと、このあと艦これというタイトルが出るのですけど、結構プラットフォームを引き上げてくれて、そのお陰で若干風向き変わってきたな、と思いました。スマホシフトしている中でPCブラウザでもまだまだ行けるぞ、という雰囲気ですね。とは言え、逆に艦これの影響力は自分自身が使ってスケールしていかないと、とも考えていました。

小井戸氏
ふむ。じゃあ大塚商会もHMVも今活きている、という感じですかね?
林氏

そうですね。結局積み重ねだと思っているので(笑)。

小井戸氏

業界が違うから、もちろん覚えないといけない業界スキルはあるけど、基本的なビジネススキルだったり、ビジネスに対する考え方は、ベースができているという感じですね。

林氏

そうですね。どこまで行っても営業的な部分が出てくる。やっぱり人と人なので、大塚商会で営業やらしてもらったのが大きいな、と。あとは知識も経験もなかったので、特にノーと言わなかったです。なんでもイエスと。そうやって自分の中で信用を積んでいくしかない。逆にこの辺は大塚商会の教えかもしれないですね(笑)。なんでもやる、やってみる。

小井戸氏

なるほどなるほど。お二人とも結構キャリア的に一貫した考え方がある感じですね。お話ありがとうございました。

非常に苦労されたお二人はその後どうなったのでしょうか?努力を重ね、ついに芽が出てきたようですが、成功を掴めたのでしょうか?

次回は「逆境が己を強くする」
つづく…!

登壇者ご紹介♪

■柿沼 洋平(かきぬま ようへい)
カナダ留学の経験から某大手インターネット企業へ新卒入社し、営業ノウハウを学んだ後に2010年に当時300人規模のグリー株式会社へ転職。GREE Platform向けの国内外パートナーリレーション業務を担当し、Platform事業の急拡大に貢献。2013年に合弁会社の株式会社グリフォンを設立、取締役に就任。マーケティング領域全般を担当し、同社の事業拡大に貢献。2015年にグリーに異動しパートナーリレーションを担当する部署でシニアマネージャー、部長を歴任しパートナービジネスを推進。その後WFSに移り、現在ではグリー株式会社 株式会社WFS Business Development部副部長として活躍中。

林 研一(はやし けんいち)
株式会社デジタルメディアマート(現・合同会社DMM.com)に中途社員として入社してから、前職での営業経験やバイヤー経験を生かし、動画配信事業にてコンテンツバイヤーとして多数の折衝で活躍。 その後、経営企画室を経てオンラインゲーム事業の立ち上げから参加。当時400万人の会員数を誇るDMM GAMESにてリリースされた『艦隊これくしょん艦これ』が話題を呼び、モバイルゲームが市場を席巻する中、新たにPCブラウザに可能性を見出す結果となる。20183月の分社化を機に合同会社DMM GAMESの役員に就任。現在ではフリーランスとして、ゲーム、エンタメ系のコンサルや営業代行を行っている。

モデレーター:小井戸 洋(こいど ひろし)
20113月にグリーに入社。JapanGame事業本部でゲームデベロッパーとのアライアンス事業を担当し、オルトプラス社やGMOインターネットグループ、サイバーエージェントグループ、グラニ社等との業務提携を推進し、数多くのヒットタイトルを担当する。

20164月よりグリー100%子会社であるファンプレックスを立ち上げ、執行役員副社長に就任、ゲーム事業のMAを推進し年間取扱高100億を達成した。

現在、事業開発ギルドBizconcierを創業、複数企業の顧問を務める。

Game Creators Guildとは
ゲームクリエイターが生涯現役でいられる世界を目指して、
ノウハウ還流の場やクリエイター同士のコミュニケーション機会など、
クリエイターの生涯活躍を支援する活動をしています。
会社の垣根を越えて、業界全体が協力してクリエイター育成が出来る
仕組みづくりを日々模索しています。
Game Creators Guild Facebookはこちらから

\“いいね”“フォロー”で応援お願いいたします!/