【Vol.4】『U30クリエイター応援企画!第一線で活躍し続けるゲームクリエイターの20代の過ごし方@オンライン』【イベントレポ】

U30クリエイター応援企画とは

20代の仕事が未来を作る。
ゲーム業界でキャリアをスタートさせ、現在、第一線で活躍するプロデューサーは、どのように20代を過ごしたのか。
本セミナーは、活躍する先人から自らの経験をシェアいただき、ゲーム業界で頑張る若手の方々のヒントにしていただくことを目的に開催しています!
今回は、『ep.4 第一線で活躍し続けるゲームクリエイターの20代の過ごし方』トークイベントのレポをお届けします!

 『第一線で活躍し続けるゲームクリエイターの20代の過ごし方』って?
Game Creators Guild(ゲームクリエイターズギルド)主催。
今も現役でゲーム業界の第一線で活躍されているゲームクリエイターの方が、20代のキャリアのスタート地点からどんなことを考えて行動し、どのような分野で活躍してきたのかを知ることで、20代の若きクリエイターの皆さんにとって将来的なキャリア形成をしていくためのヒントにしていただくことを目的としたトークイベント。

詳しくは以下から!

ゲームクリエイターの楽屋でまったり by Game Creators Guild

ゲーム業界でキャリアを育て、現在も業界の第一線で活躍するプロ […]…

小井戸氏
お二人とも非常に苦労されてきたようですが、その後、どうなったのでしょうか?

話し合いに話し合いを重ねて、信頼を育んだ。そして、ついに挽回、大成功!

小井戸氏
柿沼さんは…先ほども話してくれた通り、最初のタイトルが大ゴケして経営的にも非常に大変だったと思います。そんな環境から…億タイトルが生まれた。これはどんな風に生み出されたのですか?
柿沼氏

これは…ご存知の通り、一作目がすごい失敗して、二作目以降は複数同時製作していたのですが、一旦全部止めて一作作るのに集中することにしたのですね。あ、そのタイトルは例の億タイトルじゃなかったのですけど、黒字タイトルにはなったのですよ。そこそこの売り上げが出て、運営も順調で。

まあ、そのあと黒字倒産しかけて増資したのですけど(笑)、ギリギリなんとかなって、その増資したお金を使ってもう一発やってみよう、という流れが生まれました。

一時期これもソシャゲの中で流行ったと思うのですが、ゾーニングタイトルというガチではないけど、少しセクシー度合いの強い、ゾーニングというのを一定の審査の元作る、というのがあったのでウチも作ってみたのですね。少し前は、億単位とか結構いっぱい出ていたのですが、当時の2014年とかになると億単位ってあまり出なかったので、ちゃんと狙った層に刺さって、初めて単月億越えタイトルになったのは大きかったです。今はソーシャルゲームも作るとなるとちょっと高くなっちゃうのですが、当時は億とか超えてくると結構利益が出たので、それで事業を結構立ち上げることができました。あとは仕事ってやはり成果が全てなので、成果が出てくると雰囲気も良くなってきて、それがまた成果につながるという循環が生まれたのも良かったですね

小井戸氏

それこそ会社的に最初のタイトルがどん底、という所から新しいタイトルを作っていくのはモチベ的にも大変だったと思うのですが、そこは大丈夫でしたか?

柿沼氏

そうですね…。一作目は既にあるタイトルが売れなかったという事で、二作目の方がむしろオリジナル。なぜそのタイミング(笑)、となったのはありますが、役員陣で毎日三時間位話していました。もう、毎日役員ミーティングでした。1日1回、6時半に特に用がなくても集まる、という感じで。雑談しても全然良いのですけど、まあそういう感じでやっていたので、そこでモチベ保てていたのはあると思います。一人で悶々と考えるのってやっぱりきついので。

小井戸氏
なるほど。その会議では主にどういう話をしていたのですか?ゲーム開発の話とかですかね?
柿沼氏

そっちの議題が多かったですね。もの作りをやっていると、立ち上げの時は少ないのですが、100人位の組織になると大体毎日何か起きる。トイレの使い方が汚いとかポテトチップスの食べかすがあるとか(笑)。それはそれで平和というか。まあやっぱり人の話が多いですね。

小井戸氏

色々あるのですね(笑)。柿沼さん個人は何か会社を立て直すために考え方を変えたり、行動を変えたりしましたか?

柿沼氏

それで言うと、GREEのマーケターで出向したのにデバッカーやったのもありますね。視聴者さんからご質問いただいているのに答える面でも言うと、僕会社のモチベを保つ盛り上げ隊長みたいなのやっていたのですけど、GREEから来た柿沼さんがおかしなことやっているぞ、と話題になっていましたね。朝食をプレゼントとか着ぐるみ着てみたり色々な意味で恥ずかしさとかプライドを捨てたというか。周りからすると取締役だけど、なんか変なおにぎりの被り物している、あいつなんだろう、という感じでしたねGREEから行っている自分、という、そういう変なプライドは捨てました。そういう意味では変化しましたね。

小井戸氏

プライドって簡単に捨てられるものなのですか?何かきっかけとか…宗教入ったとか(笑)。

柿沼氏

宗教(笑)。

純粋に失敗したのが大きかったですよ。前半の経歴部分だけ見ると、自分で言うのもなんですが、割と順調で、そこでド失敗かましたら割となりふり構わず…いくしかなかったですよねやっぱりそういう、必死さって伝わると思うのですよね

小井戸氏
なるほど、なるほど。大失敗をかましたからこそ、自分を変えられたという部分が大きかったのですかね。
柿沼氏

そうですね。こう言ってしまうと両社には申し訳ないですけど、失敗しといてよかったぐらいには、僕もそうだし、多分グリフォンの経営陣も思っているんじゃないかな、と。

小井戸氏

プロモ担当で行った人が帰ってきたときには全くプロモとは違う仕事をしていて最早何屋か分からない、みたいな状態ですね。ありがとうございます。

次は林さんですね。まあ、さっきも話に出ていた艦これや刀剣という所ですかね。これで多分プラットフォームの認知がガーッと上がったと思うのですが、林さん自身はこの潮目でどういう考え方、行動をされていたのですか?

認知度アップによりゲーム事業が一気に成長、自身のキャリアもついに花開く

林氏

営業面でいうと攻めしかない、マーケ的にも積極的にアプローチしたい、という風潮でしたね。まあ、それでも結局ベースの部分って目立つ仕事じゃない。泥臭い仕事をずっとしてきたので、変わらず実直にやっていました。他には…柿沼さんも先ほど言っていましたけど、問題事の解決とかにも取り掛かりましたね。当時僕と同じ役割の人が何人かいたのですが、事業全体を横断的に見てタスク構成、割り振りというのに僕もジョインしていました。今まではサードパーティからコンテンツを獲得してたのですが、それだけじゃダメだなと思い、僕の力で何をどう解決できるか、マイナスをゼロにするのが僕の仕事の一つかな、僕にできる事は全部能動的にやっていきたいな、という結論に至りました。あとはプラットフォームの認知度もまだまだ上げていかないといけない。丁度その時に東京ゲームショー等のイベントがあったので、対メディアへの動向というか、僕も一営業として話したりもしていました。本当、横断的にやり始めて立ち回ってきたな、という感じでしたね。

小井戸氏
僕もDMMさんのプラットフォームを割と追いかけてて、GREEもそうなのですが、短期間でめちゃめちゃ成長されていたじゃないですか。柿沼さんもそうだと思うのですが、短期間で成長すると人も沢山ブワッと入ってくるだろうし、入ってくる人も同じ考えの人ばかりじゃないので、結構組織もごちゃごちゃになったり、仕事もそんなに役割分断とかぱきっとできているわけじゃないから、混乱に繋がると思うのですけど、立ち上げからいる林さんはそういった状況をどうやって打破したのですか?
林氏

そうですね僕、逆に組織を作るというのが本当に苦手な事なのですよね。でも僕一人で仕事できるわけではないので、組織を作って営業部隊を作って、という感じで進んでいたのですが…本当にマネジメントが苦手でして。それが本当に悩みのタネでした。

小井戸氏

今部下の人がこれを聞いていたら、「分かる分かる」となる感じですかね(笑)。そういう時って、苦手な事はそれでも頑張るのか、あえて得意なことにフォーカスするのか、どういう感じでやっていたのですか?

林氏

最初は頑張ろうと思っていたのですが、やはり態度と言葉が付いてこなかったですね…。自分でも分かっているのですが、言葉足らずな所があって、僕のやり方的な問題で、一ヶ月に3回ほど人事の人に呼び出しくらってました(笑)。その時に、本当に申し訳ないなと思い、へこんだりしたのですよ。でも進めていくしかないので、頑張っていこうとしていたのですが、見極めた上司が「お前は営業に専念しろ」と言ってくれましたね。自分で言い出せたかというと、言い出せずにいたかもしれません。なんとかしてみよう、と思っちゃってたかも。組織として適材適所ってあるので、なんとかしてみようって今考えると、あんまり合っていないと思うのですがね。

小井戸氏

なるほど。ちなみに今上司という単語が出たのですけど、上司とのコミュニケーションってどういうお話をしたり、どういうお付き合いをされていたのですか?

林氏

僕の場合は、結構幹部とかとフェイスブックのメッセンジャーで繋がっているのですよ。時間取らずに結構いきなり連絡できたので、ちょっと分からなくなったら話を聞きにいく、みたいな関係でしたね。あとは上司が2名いたのですけど、内容によって使い分けていました。この案件の時はこちら、もう片方の時はあちら、みたいな感じで直接話しにいっていました。

小井戸氏

なるほどなるほど。さっきの、林さんがマネジメント苦手なの見て営業やったほうが良いよ、と上司が言ってくれたのも、結構自分の得意不得意って上司に伝えていたのですか?

林氏

そうですね。もちろん、そこも言っていましたし、見ていないようで見ていたのかな、と感じました。あとは、悪い事もすぐに共有していました。むしろ順調なことより、自分の案件や他所の所で起こっている課題を優先的に共有していましたね。

小林氏

それこそ会社的に最初のタイトルがどん底、という所から新しいタイトルを作っていくのはモチベ的にも大変だったと思うのですが、そこは大丈夫でしたか?

柿沼氏

そうですね。GREE初期の方は、上司部下というよりは人がポコポコ入ってきて、そのまま各人で営業していたし、チーム変更も頻繁にあったのであまり固定の上司部下とかなかったのですけど、グリフォン行ってからは自分の上司は誰だ?みたいな時期はありましたね、やはり。僕は本籍GREEですけど、グリフォンで取締役をしていて、グリフォンの社長はサイバーエージェントで、同志と言えば同志だし社長といえば上司でも僕はGREEにも上司がいるしということで自分もキャリア迷子というか、自分はどこの人間なのだろう?と迷走していましたね。

小井戸氏

確かに(笑)。柿沼さんのキャリア見ていると結構順調というか、抜擢されてきているな、と思うのと同時に、周りが柿沼さんの良さを理解して次のジョブローテーションとかアサインを考えてくれたのかな、とも思ったのですが、上司とか周りへの強みの魅せ方は意識してきたのですか?

柿沼氏

あー。そんな深く考えてなかったと思うのですけど…。あまり嘘は言わなかったですね。要は、変に約束してもできないことはできない、できないこと任されてもお互い不幸になっちゃう。僕、そんな器用なタイプでもないので、飾らずに、ニュートラルに話していましたね。それで与えてもらったチャンスもあれば、僕の知らないうちに任されていた辛い案件もあったという感じですね。

小井戸氏

ふむ、なるほど。ありがとうございます。お二人とも結構異業種から、そして営業っぽい仕事でスタートしていると思うのですが、最終的にはゲーム開発に近い部分で関わっている印象を受けます。

林さんも先ほどの話を聞く限り、最後には色々な仕事していたようですしね。そういう、ゲーム開発とか新しい知識を、クリエイターでもない自分が習得する時にどういう経験値の積み方をしてきたのですか?本を読むとか、人に聞くとかどういうキャッチアップをされてきたのですか?

林氏

僕は結構効率重視なので、社内のプロデューサーさんたちに教えてください、と頼んでいました。あとはサードパーティさんともやりとりしていたので、そこでの会話も通してゲームを作る事とか、アイデアの作り方、売り方とかも教えていただき、それを積み重ねていったという感じですかね。

小井戸氏

なるほど。部下の方にクリエイターがいる場合もあるじゃないですか。自分のやった事のない仕事の部下等がいた場合はどうされていましたか?

林氏

まあ専門ではない人間に指示されても納得しないと思うので、ちょっと自分でもやってみて、あとはもう自由に任せる感じでしたね。

小井戸氏

なるほど。柿沼さんはどういう感じだったのですか?

柿沼氏

そうですね。やっぱり林さんに通ずる所があると思うのですが、変に口出すよりは任せるタイプでしたかね。でもやっぱり、モノ創りって濃い。色々な人がいるのですけど、中には纏まった会話が難しい言語が違う人もいまして。めちゃくちゃ優秀なエンジニアさんとかで、僕なんかは100年かかってもできないことをやっている人なのですが、ミーティングの設定ができないとか(笑)。人ってやっぱり得意不得意違うのでそこはその人なりの強い所、ということで任せる時は任せますし、僕がやるべき所はやる、という感じでしたね

小井戸氏

確かに柿沼さん任せ上手だな、と思うことが多くて、人を結構やる気にさせてると思うのですが、コミュニケーションのどの辺りに気を使っているのですか?自分と強みが違う人に対して、こういう風に言ったらこの人やる気出すんじゃないの、とどう感知しているのですか?

柿沼氏

僕って人を見る目はそんなにないと思うのですよ。分からないからこそ、基本的には人を信じやすいタイプ。でも一定やっぱりそういう目線で話さないと、相手も信じてくれないし、相手が何考えているかとか分からないので、言葉通りに受け止めるとあとは僕は、結構シンプルに話すように心がけていて、そういうところが信じやすいのかもしれませんね。

小井戸氏

なるほど。言行一致。ありがとうございます。それではそろそろ質問の方に移っていきますかね。

大きなハードルを乗り越えたと同時にキャリアが大きく花開いたお二人。やはりピンチとチャンスは表裏一体ということですね!お二人とも会社の成長とともにご自身も成長していて、自身のやるべき事、立ち位置等を掴んでいったようです。次回では、本トークセッションの視聴者からの質問に答えていきたいと思います!

次回は「これ聞きたい!質疑応答」
つづく…!

ゲームクリエイターの楽屋でまったり by Game Creators Guild

登壇者ご紹介♪

■柿沼 洋平(かきぬま ようへい)
カナダ留学の経験から某大手インターネット企業へ新卒入社し、営業ノウハウを学んだ後に2010年に当時300人規模のグリー株式会社へ転職。GREE Platform向けの国内外パートナーリレーション業務を担当し、Platform事業の急拡大に貢献。2013年に合弁会社の株式会社グリフォンを設立、取締役に就任。マーケティング領域全般を担当し、同社の事業拡大に貢献。2015年にグリーに異動しパートナーリレーションを担当する部署でシニアマネージャー、部長を歴任しパートナービジネスを推進。その後WFSに移り、現在ではグリー株式会社 株式会社WFS Business Development部副部長として活躍中。

林 研一(はやし けんいち)
株式会社デジタルメディアマート(現・合同会社DMM.com)に中途社員として入社してから、前職での営業経験やバイヤー経験を生かし、動画配信事業にてコンテンツバイヤーとして多数の折衝で活躍。 その後、経営企画室を経てオンラインゲーム事業の立ち上げから参加。当時400万人の会員数を誇るDMM GAMESにてリリースされた『艦隊これくしょん艦これ』が話題を呼び、モバイルゲームが市場を席巻する中、新たにPCブラウザに可能性を見出す結果となる。20183月の分社化を機に合同会社DMM GAMESの役員に就任。現在ではフリーランスとして、ゲーム、エンタメ系のコンサルや営業代行を行っている。

モデレーター:小井戸 洋(こいど ひろし)
20113月にグリーに入社。JapanGame事業本部でゲームデベロッパーとのアライアンス事業を担当し、オルトプラス社やGMOインターネットグループ、サイバーエージェントグループ、グラニ社等との業務提携を推進し、数多くのヒットタイトルを担当する。

20164月よりグリー100%子会社であるファンプレックスを立ち上げ、執行役員副社長に就任、ゲーム事業のMAを推進し年間取扱高100億を達成した。

現在、事業開発ギルドBizconcierを創業、複数企業の顧問を務める。

 


ゲームクリエイターズギルドとは
ゲームクリエイターをはじめとしたゲームに関わる/関わりたい人たちが、プロ・アマチュア/学生・社会人/企業間など、あらゆる垣根を越え「学び合い」「語り合い」「教え合う」ゲームクリエイターのための拠点(ギルド)です。
※現役ゲームクリエイターやゲーム企業を目指す学生が約5500人参加しています。(2022年12月現在)

スキルや知識を学びゲームクリエイターとして成長・活躍し続けたい、同じ業界にいる仲間と市場の動向や技術についてなどの交流したい、日本のゲーム業界・職業自体の価値を上げ今より良い環境を作っていきたい……。そんなゲームを愛する人たちの未来に、必要な情報や機会を提供します。
ゲームクリエイターズギルド公式サイト ▶ https://game.creators-guild.com/

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