ゲームクリエイター図鑑No.001 濱村崇 #01 ゲームのカンブリア期に刺激を受けまくり、カービィシリーズを手掛けるクリエイターに

「ゲームはおもしろい、ゲームを作ってる人も実はおもしろい」

多種多様な技術を持った人々が集まるゲーム業界。あの魅力的なゲームたちは、どんなゲームクリエイターが生み出しているのか。ベールに包まれた「ゲームクリエイター」の生態を解き明かし、この地に生息する「ゲームクリエイター図鑑」の完成を目指す。その過程として、一部のレポートを公開しよう。

クリエイター図鑑 No.001
『星のカービィ』シリーズにディレクターとして携わった濱村崇さんは今年、ハル研究所を退社してGameDesignLabを立ち上げた。グラフィッカーとしてゲーム開発に携わるようになり、実績を積み重ねることで大きなタイトルにかかわっていく。そこには「好きなればこそ」の姿勢があった。

報告#01「イラストの腕を生かしてゲーム会社に」

──まずは濱村さんのキャリアを振り返りたいのですが、ゲームクリエイターのスタートはどんなものでしたか?

絵が描けることを生かしてゲーム会社に入ったので、キャリアのスタートはデザイナーでした。当時はまだゲーム開発を専門にした学校がなく、進学しても実にならないだろうと思い、それなら会社に入ってお金をもらいながら勉強したいと考えました。それで高校を卒業して、受託でゲームを制作する小さな会社にアルバイトで潜り込んだんです。

──仕事選びをする際、絵を描くこととゲームを作ること、どちらが優先でしたか?

もともとゲームが大好きで、ゲームを作りたかったので、絵を描くことを生かしてゲーム会社に入った感じです。ただ、当時は企画職という仕事があまり浸透しておらず、プログラムとグラフィッカーが相談しながら作る時代で、私もアイデアはどんどん出すようにしていました。

まだスーパーファミコン、ドット絵の時代です。小さな会社に入るとどうなるかと言うと、先輩がどんどん辞めていき、バイトだった自分の立場がどんどん上がっていくんですね。こうして最初に任された大きな仕事が大人気対戦格闘ゲームの移植で、ドット絵のデザインリーダーでした。ブラックな環境で、めちゃくちゃしんどかったのですが、この経験が後に生きることになります。

この仕事を終えた時点で『バトルガレッガ』や『魔法大作戦』を作ったライジングに移りました。大手に行くよりも、当時20人から30人の中規模の会社の方がいろいろ自分らしさを出しながらゲームを作れると思っていました。そこでハドソンから出た『ブラッディロア2』という対戦格闘ゲームのモーションをやり、そこからは3Dゲームのモーション班です。世界がぶったまげた『バーチャファイター』でポリゴンが世に出てきた時期で、グラフィッカーは、ドット、3Dモデリング、モーションなど細分化が不明瞭な時代でした。

──その後、フリーランスの時期を挟んで、企画職になったそうですね。

イラスト制作をして生活をしている頃に、昔ライジングのディレクターだった人から声が掛かりました。キャラクターデザインのつもりでその会社に行ってみたら、「実はイラストレーターとして呼んだわけじゃないんだ。ゲームデザインの方が向いていると思うからやってくれ」と言われて、今で言うサブディレクターの仕事にシフトチェンジしました。

ステップアップを重ねてカービィシリーズへ

──そこから企画職なんですね。グラフィッカーでなくなることに拒否感はありませんでしたか?

「絵も描いていいよ。でもメインはこっちで」という形でしたし、私も「自分のアイデアが出せるから」という理由で小さな会社を選び、自分の仕事以外でもどんどんアイデアを出してきたので、嫌ではありませんでしたね。ただ、その会社は給料が出なくなり、ゲームはポシャってしまいました。しばらくブラブラしていたのですが、知り合いが「企画を探している」と次の会社に引っ張ってくれました。

そこで任された仕事が『ザ・キング・オブ・ファイターズEX2』(KOF EX2)です。無職だったところに「KOFのゲームボーイ版を作ってくれないか」と言われて引き受けました。最初のアルバイト時代に対戦格闘ゲームのハード的なグラフィックス設計もやっていた経験が生きて、ゲームボーイにおいては神ゲーと言われる『KOF EX2』になりました。

ここでは元KOFのチームが監修で入っていたのですが、その人に誘われて転職したのが、当時カプコンの開発本部長だった岡本吉起さんが作った子会社のフラグシップでした。小さな下請けで『KOF EX』を作っていた自分にとってはチャンスだと思い、まだ入って1年ぐらいだと思うんですけど、「大阪に行かせてほしい」とお願いして、社長が快くOKしてくれてフラグシップに行きました。これが5つ目の会社ですね。

──ここまでが下積み時代という感じですね。そこからカービィシリーズを担当することになります。これはどういう経緯だったんでしょうか?

そうですね。フラグシップに移ったのが31歳の頃で、そこまでが下積みだと思います。

その頃、岡本さんがハル研究所の谷村社長と意気投合し、フラグシップで星のカービィの続編を作る事になっていたんです。それで、桜井政博さんをスペシャルアドバイザーに迎え、私が開発に加わったのが『星のカービィ 鏡の大迷宮』。次にディレクターとして作ったのが『星のカービィ 参上!ドロッチェ団』になります。

ドロッチェ団の開発を終え、いろいろと事情もあってフラグシップを退職しました。ただ、その頃にはハル研究所とのお付き合いが出来ていたおかげで、『あつめて!カービィ』のアイディアの種の部分からコンセプトプランニングとして開発に携わり、かなり多くの部分を制作しました。

その後、『タッチ!カービィ スーパーレインボー』『カービィ バトルデラックス!』を作りました。ハル研究所では業務委託、契約社員と正社員の3種類の勤務形態で働いて、付き合い自体は20年近くになりますね。

#01まとめ

イラストの腕を生かして業界に入り、ドット絵を描きながらも「自分の仕事以外でもどんどんアイデアを出してきた」という濱村さん。小さな下請けからステップアップしていけたのは、熱意を込めて仕事に向き合うことで人との縁が繋がった結果に他ならない。

#02記事

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