ゲームクリエイター図鑑No.001 濱村崇 #03「ゲーム作りは自分のやっていることに意味を見出だせる、幸せな仕事」

「ゲームはおもしろい、ゲームを作ってる人も実はおもしろい」

多種多様な技術を持った人々が集まるゲーム業界。あの魅力的なゲームたちは、どんなゲームクリエイターが生み出しているのか。ベールに包まれた「ゲームクリエイター」の生態を解き明かし、この地に生息する「ゲームクリエイター図鑑」の完成を目指す。その過程として、一部のレポートを公開しよう。

クリエイター図鑑 No.001
『星のカービィ』シリーズにディレクターとして携わった濱村崇さんは今年、ハル研究所を退社してGameDesignLabを立ち上げた。グラフィッカーとしてゲーム開発に携わるようになり、実績を積み重ねることで大きなタイトルにかかわっていく。そこには「好きなればこそ」の姿勢があった。

#01記事

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#02記事

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「幸せに仕事ができる、を目指して」

──濱村さんは小学生の時にファミコンが発売されて、ゲームの進化を丸ごと体験してきた世代だと思います。ゲーム作りを志すに至るまで、インパクトを受けたタイトルは何ですか?

まずは『マリオブラザーズ』ですね。テーブル筐体が最初でした。ジャンプや階段を登る動きが本当の人間の動きのようで、『ブロック崩し』や『パックマン』では単なる記号でしかなかったキャラクターが生きていると感じられるのはすごいと思いました。

物心ついた頃に『ゲームセンターあらし』を読んだのも大きいと思います。『ゼビウス』や『ギャラクシアン』があって、『魔界村』で魔界を冒険するなんて発想に驚いて、『ファンタジーゾーン』でシューティングなのにゲーム中に買い物ができるアイデア、『スペースハリアー』で向こうから敵が突進してくる様子にびっくりして。

当時は何もかもが新しくて、学校帰りにゲームセンターに行くたびに新しいゲームと出会うような感覚でした。発展の仕方がカンブリア期というか。当時のアーケードから次々と出てくるいろんなアイデアに日夜圧倒されて、ゲームの絵をいっぱい描いていました。

──「ゲームで遊ぶのが好き」と「ゲームを作るのが好き」は、似ているようで異なると思います。濱村さんの「ゲームを作るのが好き」は、どのように生まれたんですか?

小学校6年生の時、1ヶ月のお小遣いが600円だったんです。ゲームセンターに行って1ゲーム50円、その1ゲームが1分もたないぐらいで、あっという間に終わっちゃうんですよ。

もったいないからゲームができない、でもゲームで遊びたい。そのジレンマから私はスゴロクを作るようになったんです。ゲームセンターで人が遊んでいるのを見て、覚えるんですよ。キャラクターだけでなく背景のデザインまで覚えて、自転車を飛ばして家に帰ってすぐに描く。そうやってアーケードゲームのシステムをスゴロクに落とし込んで、自分で遊べるようにするんです。

『ファンタジーゾーン』だとスタートからゴールにすぐ行くんじゃなくて、ここからここまではループしていて、サイコロを振ったら、右か左かに進める。中ボスを全部倒したらボスに挑めるみたいな。サイコロを振って敵を倒すとお金がもらえるようになっていて、それで買い物をして武器をパワーアップできる。そして友達に「ファンタジーゾーンを作ったけど、遊ぶ?」って。友達も同じ中学生のゲーム好きなので「遊ぶ遊ぶ」って(笑)。

──『ドルアーガの塔』のボードゲームを買った記憶があります。雑誌の付録もありました。それを自作していれば、ゲーム作りの脳が鍛えられますね。

そうです。そこで学んだことは大きかったと思います。面白いゲームだと休み時間じゃ物足りないから「昼休みも遊ぼうぜ」となるんですが、面白くないと遊ぶ気になってくれないんですよね(笑)。面白いゲームだと半年ぐらい遊び続けました。アドベンチャーゲームブックとかも授業中に作っていましたね(笑)。

「私はずっと月曜日が楽しみだったんですよ」

──そうやってゲーム作りにハマっていったわけですね。そうやって天職を見つけられたのは素晴らしいことだと思います。

ゲーム作りに向いているのは、他の人に喜んでもらうことが好きな人です。私たちがゲームを作っていて何が一番うれしいかと言うと、やっぱり喜んでもらうことです。スゴロクを作っていた時からそうなんですけど、作るのは大変なんです。ゲームセンターを何度も往復して、細かい絵を描いて。でも友達が喜んでくれて「昼休みもやろうぜ」と言ってくれる瞬間、その友達の笑顔が本当にうれしいんです。

ゲーム作りが仕事になってからも同じで、購入して遊んでくれる人がいる、徹夜でやっちゃったとか、感動して泣いたとか、そんなことを聞いたら本当に幸せですよ。自分がここでやっていることに意味を見いだせる、そんな素晴らしい仕事だと思っています。

ゲーム会社で働いている間も、私はずっと月曜日が楽しみだったんです。「何を作ろうかな」という気持ちで月曜日を迎えていました。

──GameDesignLabの活動で、何を実現したいですか?

ゲームの良いアイデアがあるのに、作っていくうちにどんどんつまらなくなっていく。ゲーム作りに携わる人はみんな経験することだと思います。でも私はアイデア自体は、その人自身が面白いと感じたなら絶対に面白いと思うんです。そのアイデアをゲームにした時に面白くならないのは、単にゲームデザインの技術が足りていないだけだと思います。そうなると、その人も悲しい思いをするし、せっかくのアイデアを遊べない人も不幸せです。私は多くの人が幸せになる確率を、1%でも上げたいです。

同じ話でも普通の人が話すとそうでもないのに、芸人さんが話すと面白い。これはアウトプットの技術です。同じ映画を見ても、面白く伝えられるかそうじゃないかの差は、元の映画ではなく伝え方の技術にあります。ゲームにも同じくそれがあるので、自分が上手く入ることで幸せな人を1人でも多く増やしたいです。

アイデアの面白さを減衰させることなく調理して、人を喜ばせる。そこに自分が持っている知見を発信して力を貸すことができれば、私はめちゃくちゃ幸せです。

#03まとめ

濱村さんのゲーム作りの原体験は、ゲームセンターで見たゲームを記憶して作るスゴロクであり、それをクラスメートに遊んでもらうことがモチベーションとなった。「ゲームを作って誰かを楽しませる、こんなに面白い仕事はありません」という濱村さんは、その楽しさを共有できる仲間を一人でも多く増やそうと意気込む。


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