クリエイターヒストリアとは
クリエイターヒストリアとは、ゲーム業界でお仕事をしているデザイナー、プランナー、エンジニアなどのクリエイター向けに、キャリアデザインをテーマに実施するセミナーイベントです。 業界で成功を納めているクリエイターは、今までどのようにキャリアを積んできたのでしょうか… 現在に至るまでの努力や道のり、人生の転機など、その歴史に迫っていきます。
クリエイターヒストリア#10、亀岡慎一さんが登場!
各回豪華ゲストを招き、キャリアヒストリーをインタビュー形式で紐解くクリエイターヒストリア。記念すべき第十回目のゲストは、株式会社ブラウニーズ代表取締役社長 亀岡 慎一(かめおか しんいち)さんです。漫画家からサラリーマンに転身した彼が任天堂子会社会長社長にまで登りつめた“寄り道人生”に迫ります。
『課長 島耕作』の“課長”は存在しなかった?
小学生の頃から漫画好きで青春時代は漫画を書き続けていた亀岡さん。美術系の専門学校を卒業した後、講談社に漫画作品を送ったことがきっかけで月刊マガジンでの連載がスタートしました。連載が終了した後は「もっと自由に、好きな漫画を描きたい」という思いから、アルバイトをしながら漫画を描いて持ち込む、という生活をされていたそうです。
ちょうどその頃、世間では空前の“サラリーマン漫画ブーム”が到来。亀岡さんも『課長 島耕作』を読んでいたそう。
僕はサラリーマンになったことがないので、役職名が出てきてもそれがどういうポジションで、どういう役割なのかさっぱり分かりませんでした。
そして「サラリーマンを経験したら漫画を描く引き出しになるのでは」と、漫画家から一転、就職を決意。1992年に株式会社スクウェア(現:株式会社スクウェア・エニックス、以降は「スクウェア」で統一)に入社されました。
当時は営業職の仕事を探していた亀岡さんですが、就活雑誌を開くとゲーム会社での“グラフィックデザイナー”の募集記事がズラリ。「サラリーマンとして絵の仕事ができるのか」と驚いたそうです。
1992年というと、ちょうどスーパーファミコンが盛り上がってきた頃ですよね。ゲーム会社の規模が拡大しつつある時期ですし、募集が多かったのも頷けます。
最初はゲーム会社に就職するつもりはなかったんですよ。当時やっていた『東京ラブストーリー』の主人公に憧れて、営業職で仕事を探していましたし(笑)。
でも、見ていた就活雑誌に天野さん( キャラクターデザイナー 天野 喜孝氏 代表作:ファイナルファンタジー)のイラストが掲載されていて、なぜか目がいってしまって。ダメ元でスクウェアに応募したところ、トントン拍子に話が進んで入社をしました。
就職のきっかけは“サラリーマンへの興味”とのことでしたが、実際に入社してみていかがでしたか。
『課長 島耕作』にも出てくる“課長”がいなくてびっくりしましたね。マネージャーとかジュニアマネージャーみたいな、聞いたことのない役職名ばっかり。それに、僕は28歳でスクウェアに入社したんですが、当時のスクウェアの開発陣の中で上から2、3人目の年長者で、後はほとんどが現役大学生だったんです。
「負けたくない!」が詰まった名作『聖剣伝説』シリーズ
亀岡さんがスクウェアに入社された1992年は『FINAL FANTASY Ⅳ』がリリース間近の頃。同プロジェクトが終了後は、『聖剣伝説』シリーズの制作現場に入られました。
当時ゲーム制作に使用できる色は基本的に16色だけ。多重スクロールのスクリーン背景は2枚をずらして動かすような時代でした。本当に限られたスペックだったんですよね。でも、任天堂は凄かった。
任天堂は1991年11月に『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』をリリース。スクウェア社内ではスーパーファミコンで初となるポリゴンの技術や、ゲーム内のスクリーンの数に驚愕していたそうです。
ゲーム内がどう見ても背景スクリーンが従来以上の枚数で動いているように見えたんです。こんなモードあったのかな?って思って。
任天堂さんしか知らない隠しモードがあるんじゃないか、と思われたんですね(笑)。
もう、任天堂だけずるい!って(笑)。でも、そこから色々と研究をすると、4枚の多重スクロール、それも4枚ともずらすモードがあったことに気付いて。こんな見せ方もできるのか、と関心しましたね。
そこからは社内でも技術力を競い合いながら「負けたくない!」という気持ちで制作に励みました。
1993年には、“シリーズ屈指の名作”と謳われる『聖剣伝説 Legend of Mana』がリリースされましたね。
そう言っていただけて嬉しいです。当時は本当に尖ったクリエイターが集まっていて、そこら中で揉めながら作りました。
僕はキャラクターのトップをやらせてもらっていて、背景のトップは弊社(株式会社ブラウニーズ、以下ブラウニーズ)の津田幸治。二人で絵のタッチや映像について話し合いながら決めて制作していましたが、プログラマー同士、プランナー同士はもうバチバチ。
良いものを創り上げるために、真剣にぶつかっていたんですね。
そうですね。『聖剣伝説3』はキャラクターのモーションなど細部にもかなり力を入れました。ジブリ作品に当時はとても影響を受けて「超えたい、負けたくない」っていう気持ちがあったので。
ジブリ作品で影響されたのは、どういった部分でしょうか。
たとえば、大人と子供の歩幅や歩き方の違い。動物の関節の動き。ジブリ作品はその一つ一つが繊細に表現されているんです。普通はコスト面的にもそこまで再現しきれないんですよね。それが何となく悔しくて、ジブリ作品を超えられるような作品を作りたいと思いました。
「2Dで面白い作品を作りたい」強い意志を胸に転職を決意
本来ならば『Legend of Mana 2』の制作を担当する予定だったものの、会社の方針でFF11のオンライン制作チームに配属された亀岡さん。しかし当時の3Dグラフィックにあまり魅力を感じられず、当時の上司でもあった津田氏に相談をしたそうです。
その頃はまだ3Dのスペックが低かったので、ポリゴンがあまり綺麗に見えなくて。『Legend of Mana』のこともあったので「3Dよりも2Dのドットの方が魅力的だし、もっと良い作品を作れるのにな」と思うようになりました。
ちょうど同じくらいの時期に、任天堂からゲームボーイアドバンスが発表されるという話があったんです。それまでは白と黒だけだったのが、16色も使える携帯ゲーム機が出ることにとても興味が湧いて。これ、作りたいなって純粋に思いました。その旨を津田に話したら「俺もその話に乗ろうかな」というので、二人して退職を決意しました。
とはいえ、当時はまだインターネットが発達していない時代。手探りで様々な会社に連絡をし、転職活動を行ったそうです。
次の会社をどうしようか考えていたとき、ふと思ったんです。「ゲームボーイアドバンスを作りたいんだったら、任天堂に入れば良いじゃん」って(笑)。それから津田の紹介で任天堂の担当者と話す機会を設けてもらいました。
それは大胆な発想ですね!(笑)。確かに近道と言えば近道です。ですが、任天堂への就職は狭き門と聞きます。
今思うとそうですよね。当時はありがたいことに、トントン拍子に話が進んだんですよ。ですが、僕が思っていた道とは全く違う道に進むことになりました。
持ち前の行動力で次のキャリアに一歩踏み出した亀岡さん。しかし、ここからまた新たな“寄り道”をすることになり…?亀岡さんのヒストリアは後編に続きます!
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