クリエイターヒストリアとは
Game Creators Guild(ゲームクリエイターズギルド)主催。
第3回は、あのPlaystationのスタジオ長の経験を経て、「XI(sai)」「どこでもいっしょ」などの名作をプロデュースされた桐田氏をゲストにお招きし、ゲーム業界歴40年にわたる歴史を紐解いて参ります。
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今回のヒストリアレポから先はダイジェスト版でお送りしていきたいと思います!イベントの動画はアーカイブに残してあるので、ご興味ある方はLINEから連絡ください!
第3回ゲストは…コナミ→ソニー→あまた
様々な会社で活躍を続ける桐田さん!
ゲーム業界入りはコナミさんから。
就活をした1980年代はアーケードゲーム全盛期だったので、桐田さんもパックマンやシューティングゲームにハマってよく遊んでいたそう。他にはテーブルタイプの筐体で、百円玉を側に積んで連続で遊んでいたことも。
そういった経験からコナミさんを知り、面接を経て入社。
その当時のコナミさんは貿易というか…ゲームを輸入している会社でしたよね。
そうですね。海外のアーケードゲームを輸入して販売したり、自社のロケーションに設置してお客さんに遊んでもらうという業態を取っていましたね。
新卒として任されたのは、海外関連業務。ペーパードライバーだったのにベンツを運転したと笑いながら語る桐田さん。
コナミもコンシューマー市場に参入
ファミコンが誕生してからは、コナミさんが開発製造したゲームカートリッジ小売店営業に。当時コナミさんはソニーさんのパソコンゲームのOEM(他社ブランの製品製造)を受託していたので、その関係からソニーさんの営業担当とも仲良くしていた桐田さん。その時の体験がソニーさんへの好印象を育んだそう。
小売店で営業回りをしているうちに、どういった作品が売れていくのかを見ることができた。うちもこういうゲームを作れば良いのになー、どうして作れないのだろう?と疑問を抱くようになり、連携していた開発部隊と現場から持ち帰った意見やゲームアイデアの話をしていた。
市場がどういうものを求めているのだろう、という方面からゲーム制作を始めるのは当時珍しかったのですかね?
うーん…珍しいっちゃ珍しいかもしれないですけど、今でいう「マーケティング」みたいなメソッドが特に確立されていなかった頃なので、これだ!と思う人が企画を立ち上げて、共感した人たちとものつくりしていく、という感じでしたね。
ゲーム開発の責任者やってみない?
セガさんのジェネシス(1988年にセガが発売したコンシューマー機器)が海外で流行っていたこともあって、海外関連にも力を入れていたコナミさんは自社ゲームのマルチプラットフォーム対応を決意。
ジェネシスの開発部隊には当時責任者がいなかったので、その立場を頼まれ、引き受けた桐田さん。
どんな理由で責任者にアサインされたのか、あとで聞きました?
いや、聞いてないですね。あんまり理由は気にしていなくて、頼まれたから引き受けた、という気持ちでいます。
メインマーケットは欧米、ということに気づき、日本向けのゲームをそのまま作っても売れないと考える。でも、日本のマーケットの知識を一番持っているので、どうせなら日本でも流行るオリジナルゲーム制作にチャレンジしたいと考えた桐田さん。
統括部長として、中々開発が上手くいっていないチームも取り締まらなければいけない。「ときめきメモリアル」チームも長い制作期間が続いているのに、終わりが見えないからうち切ろう、と御達しが降りる。いざ、現場に行ったら「あと半年あればできるから待って欲しい!」と言われ、制作者たちの情熱を感じた。無理に辞めさせるマイナス要因の方が大きいと判断し、会社に頼み込んで待ってもらうことに成功。
今となっては、大ヒットしたシリーズですが、当時そのジャッジをするのは難しかったのではないですか?
まあ、あと半年、と言われたらその時点で既に3年位かかっていたので、そう変わらないだろう、と会社も納得してくれたのですよね。
なるほど。このシリーズがきっかけで花開いたクリエイターさんも多数いますものね。制作期間以外では何か大変なことはありましたか?
オリジナルで勝負したい!と思って作ってはみたものの、当時の海外子会社の営業担当が弱気な売上見込みだったので、統括部長の権限を乱用し、売れる見込み以上の製造を無理強いしてしまい、大量のデッドストックが工場に山積みになっていましたね…。
あら…。当時は完全アナログなので、ものが残っちゃうのでそれは大変ですね…。
一区切り、転職を決意
オリジナルゲーム制作にチャレンジして、一区切りついた頃が35歳。
次のステップも含めて、コナミさんをやめようかと考えた。
以前セガさんの業務担当を務めていた人がソニーさんに移ったと聞き、連絡を受けたのが同時期。食事をするつもりが、ソニーさんの制作取締役が同席、予想外の面接を経て興味があればおいでよ、とお誘いを受ける。
年末に会社を辞め、3月1日からソニーさんに入社予定だったのですが、人生初めての長期休暇が楽しすぎて3月16日入社に伸ばしちゃいましたね(笑)。
お休み期間もしっかり満喫できたようですね(笑)。さて、ソニーさんですが、当時はゴリゴリのゲーム会社というよりは、ソニーミュージックの方がメインでしたよね。そこで、アマチュアにゲームを作らせたい…と。
そうですね。コナミさんで様々なプロがゲームを作るのを見ていたので、素人にゲーム作れるわけないじゃん!と当初は思っていましたね。まあけど、この企画を作るのに1ヶ月半欲しいと伝え、取り組んでみました。
「ゲームやろうぜ!」が誕生。
当時は、ゲームを作りたいと思っても技術が一般人に浸透していなかったので、ソニーさんが素材・技術提供をすることによってクリエイターを応援するオーディション形式のプロジェクトを発足。このオーディションをきっかけに新しいゲームデベロッパーや会社も誕生した。
どうしてこういう発想になったのかな、と考えたのですが、ソニーミュージックの方でもアーティストさんを0から育て上げることを方針としていたので、ゲームでも同様なことがしたかったのかな、という考えに至りました。才能は開発できると考えているのだな、と。
その考えの元、素人がプロになっていく過程を分析。次のクリエイターを生む、面白いプロジェクトになると良いな、と思いながら「ゲームやろうぜ!」を構築、宣伝。
全国各地でオーディションという名の面接を繰り返していく中で、様々なユニークで面白い人に出会えた、と桐田さんも嬉しそうに話していました。
そのオーディションなのですが、どういう所に着目して人選をしていたのですか?
普通の人とは違う感性、一つのことにこだわっている、一つの分野に対する極めて詳しい知識等に着目していました。ゲームを作りたいという意思は応募者全員が持っているので、知識とかはなくても良いけど、情熱は高く持っていて欲しいと僕は思っていました。一緒に働きたい思いに駆られるかが大事。
受かった人は一緒に仕事をしていく仲間になるのですものね。
ソニージャパンスタジオの責任者に転身
ステップアップと、仕事としての面白さは別物だと直に理解するに至る転身。
責任者という職種も頼まれた際に引き受けたが、現場の人たちが考えているアイデアを、なんとか形にできるようパスを作る必要がある。そして、そのパスを作るのが今までの仕事の中では一番楽しかったと感じていると言う。
上昇志向よりは、日々面白く仕事をできるか、に自分が重点を置いていることに気付いたそう。
あまたさんに転職、取締役を務める
「ゲームやろうぜ!」を立ち上げた当初のメンバーがあまたさんを結成、一緒に仕事を!とお声がけをもらい、十数年ぶりに昔のメンバーと再度仕事をすることに。
本当にコンテンツ作りは一期一会、と再認識したそう。
Q&A
一個前のヒストリアで登壇していただいた神崎さんが質問を聞きたい、と言っていたのでここで聞かせていただくのですが、「何歳までゲーム業界で働こうと思っていましたか?」
決めてはいないのですが、仕事するのが楽しいと思い続けられる限りは続けたいと思っています。なので、何歳、という区切りは決めていないですね。今の仕事も、以前プロデューサーをしていた時に比べれば楽しさは劣るのですが、まだ楽しさの方が優っているので、今後も続ける見通しでいますね。
なるほど。楽しい限りは続ける、良いですね。それでは、次の質問ですが、これは全登壇者に聞いていることで…タイムマシンで自分の歴史をやり直せるとしたら、どこに戻りますか?
仕事の中で考えると、プロデューサーからステップアップしたタイミングがあったじゃないですか。その時にプロデューサーを貫き通せば良かったな、と思います。プロデューサーは、作りたいと思うものがあるから、プロデューサーでいられる。作りたい人たちと一緒に仕事するのが楽しかった。ポジション変えれば、もっと楽しいことがあるかな、と思っていたのですが、今の所はあれが一番面白かったですね。まあ、ものすごく後悔しているという訳ではないのですがね(笑)。
なるほど。やってみないと分からないですからね…。それでは最後に、桐田さんから未来のクリエイター、学生クリエイターへのメッセージを是非お願いします!
僕はクリエイター、というよりはプロデューサーだと自分のことを思っているのであまり参考にならないかもしれませんが、西和彦さんの書いた「反省記」という著者の中にあったコメントで共感したのは、「過去の人生にifはない」という言葉です。タイムフレームで言うと年毎、月毎、週毎、日毎ある訳ですが、過去を知って未来に生かすという感覚で物事を捉えると、明日がさらにまた変わっていく可能性もあるし、人生楽しそうだと思います。60代になって改めて人生について考えるのもちょっとおかしいのかもしれないですが(笑)、日々考え続けるのは良いかな、と思いました。
歴史があって、未来が日々作られていく。そう考えると、60代もそれ以降も楽しみですね。次どうしようかな、どうなるんだろう、とワクワクできるので。
そうですね。他にも、僕は好きな言葉は反芻する癖があるのですが、「和を以って貴しとなす」という言葉も好きです。安易に調和を取るのではなく、相手を想って議論する。クリエイターの立場でいうと、突っ走っちゃう恐れもあるけど、自分のやりたいことを確実に実現するために話す、ということも大事になってくるので、伝えることを心掛けると、何か変わってくるものもあるのではないかな、と思います。
なるほど。ぶつからない方を選ぶのではなく、ぶつかり方を選ぶ、という話ですかね。
はい。良い人と巡り会えたのは本当に人生の財産だと思っています。
冒頭でも書きましたが、本記事を読んで、ヒストリアを視聴したい!と思った方はこのページの最後に記載されているLINEに連絡ください。動画リンクを共有します!
また、ヒストリア自体に関心を持った方は、次回のクリエイターズヒストリアは2月24日開催予定、FFシリーズやクロノ・トリガーのVFX担当の佐々木さんを招待してのイベントなので、是非こちらからご参加ください!
完!
登壇者ご紹介♪
■桐田 富和(きりた とみかず)氏
あまた株式会社取締役/制作本部長
大学卒業後、コナミ株式会社に入社。コンシューマゲームソフトの営業責任者を経て、開発部長(セガ・NEC向けゲームソフト開発)を務める。プロデュース代表タイトルは、「ときめきメモリアル」
その後、㈱ソニー・コンピュータエンタテインメントに入社し、ゲームクリエイターの発掘支援を目的に「ゲームやろうぜ!」オーディションを企画立案し、多くのクリエイターを発掘・育成。プロデュース代表タイトルは、「XI(sai)」、「どこでもいっしょ」。
ジャパンスタジオ、パブリッシャーレーション担当役員など歴任。ゲーム業界歴40年。
■宮田 大介(みやた だいすけ)
株式会社オルトプラス ゲームアライアンス事業執行役員/ゲームクリエイターズギルド主催
大学卒業後、在学中にお世話になった職人の元へ弟子入り、鉄材があれば何でも作れる職人のものづくりをネットビジネスの視点から支援。
設立間もないオルトプラスにフロントエンジニアリング兼なんでも屋として参画。プランニング部部長、第二ゲーム事業部の事業部長等を経て、オルトプラスもマザーズ、東証一部上場と成長。その後、日中韓での3拠点でのゲーム新規開発プロデュースや韓国支社の立ち上げメンバー、高知にてSHIFT社とのジョイントベンチャーの立ち上げなど、諸国を放浪する。
現在は、ゲームアライアンス事業を設立。ゲーム会社同士のマッチングコミュニティサービスである「ゲームコミューン」やゲームクリエイターの相互教育コミュニティである「ゲームクリエイターズギルド」、ゲームのマーケティング事業等、ゲーム業界を活性化するための新規事業の立ち上げを行っている。
▼ゲームコミューン
https://www.gamecommune.jp/
▼ゲームクリエイターズギルド
https://game.creators-guild.com/
ヒストリア#4も是非!
第4回は、元スクウェアのエフェクトディレクターであった佐々木洋勝 氏をゲストにお招きし、ゲームクリエイターズギルド代表の宮田が歴史を紐解いて参ります。
詳細はこちらから!
登録情報
ゲームクリエイターをはじめとしたゲームに関わる/関わりたい人たちが、プロ・アマチュア/学生・社会人/企業間など、あらゆる垣根を越え「学び合い」「語り合い」「教え合う」ゲームクリエイターのための拠点(ギルド)です。
※現役ゲームクリエイターやゲーム企業を目指す学生が約5500人参加しています。(2022年12月現在)
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