おさらい:クリエイターヒストリアとは
Game Creators Guild(ゲームクリエイターズギルド)主催。
第5回は、「スーパーマリオRPG」、「moon」、「もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド」など、多くの名作に関わったキャラクターデザイナー&イラストレター、倉島一幸さんをゲストにお招きし、クリエイターとしての人生観を語っていただきました!
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目次 1 クリエイターヒストリアとは2 第5回ゲストは…数々 […]…
『moon』後の倉島さんは…
時代の流れが3D技術の支持に傾く。
今はインディーシーン等でもドット絵ゲームが見られ、ドット絵回帰が見られるけど、当時は2Dはもう古い、と考えられるように。
倉島さんも3Dゲームを個人で遊んで吐いたけど、やはり何度チャレンジしても3Dで絵を描くことは上手くできず…。
『UFO』までは今まで通り、少人数体制で作りきるが、『エンドネシア』からは地形などの3D作成を手伝ってもらうように。
話を聞いていると、苦戦していたようですが引き続き挑戦的で、ファンも多いタイトルを世に送り出していた印象があります。
今でこそ「ラブデリック系」と呼んでもらえますが、当時は全然売れなかったですね…。受託ではなく、オリジナルタイトルをメインに扱っていたので、会社としてどういう風に進んでいけば良いのか悩んでいましたね。
まあ、僕含めほとんどのメンバーはフットサルしたり、バイク乗ったりして遊んでたのですが…(笑)。現実逃避ですね。あ、でも、社内でも流行っていた遊びとして『ポケモンカード』とか『マジック・ザ・ギャザリング』があって、影響されて『コロボール2002』を制作しました。流行りを取り入れて制作している感じですね。
▲こちらも大量のキャラクターが出演!
現実当時の遊びがちゃんとゲームにも組み込まれていますね(笑)。
因みにオフィスを原宿から千駄ヶ谷に移したのですが、将棋会館の近くだったのですよね。たまに羽生名人と遭遇していました。
有名人遭遇率高いですね(笑)。
いきなりの転機!
『もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド』(チンクルスピンオフシリーズ1作目)制作中、三半規管がグラグラする感覚を継続的に覚える。
とある大学病院に診断しに行った所、「メニエール症候群」と宣告され、仕事に復帰。
仕事に復帰したものの、自覚症状がどんどん悪化していった為、仲間に相談、別の病院を紹介してもらう。その病院で、診断された結果、即入院、すぐに手術!と言い渡される。
あと1週間でも遅かったら、命の保証もない状態だったそう…!!
それまでは割とイケイケで生きていたので、あら、人間意外に早く死んじゃうのね、と突きつけられましたね。丁度チンクルと同い年でした。
手術後、無事に快調に向かう。(よかったです!)
『もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド』発売と同時期、ニンテンドーDSが発売。
DSで展開されたゲームを機に、2Dイラストも再度受け入れられる時代が到来。
それまでは業界からの引退も検討していた倉島さん、「生きる術がある!」と感じ、復帰。
引退して、ラーメン屋でもやろうかな、と考えていましたね(笑)。工藤さんもラーメン好きで、2人で練習とかしていました。煮卵は美味しくできるようになったのですが、ラーメン全体は結構難しく…。たまーに、美味くできるのですが、美味いのを常にキープできるお店はすごいな、と感じ断念しました(笑)。
どの業界でもプロはすごい、という事ですね(笑)。まあ、けど30代って色々キャリアについて考える時期でもありますよね。
そうですね〜。売れないし…という言葉は悪いのですが、若干マンネリ化してきていて、30代は割と暗黒時期だったので色々考えましたよね。
そういう時期に病気、そしてその後2Dの再来と、様々な意味で転機の時ですね。
好きな時に好きな事を!
病気を経て、いつ死んでしまうか分からないから、好きな時に好きな事をやろう!と決意。
『もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド』完了後、フリーに転向。
『いろづきチンクルの恋のバルーントリップ』(チンクルスピンオフシリーズ2作目)の制作は共同で進めるも、別方面からの仕事も受けるように。
病み上がりだったので、目がよく見えなくて、当てずっぽうでドット絵描いたりしていましたね…(笑)。今までで培ってきた経験を使って。
超技術(笑)。
今までのチームや一緒にやってきた仲間との繋がりを保ちつつも、別の興味分野や、別の可能性にも目を向ける為、フリーランスという形態を選択。それが、今まで培ってきた人脈や経験を一番大事にできると感じたそう。
ウルトラマンの絵本もかなり前の趣味なのですが、「倉島さんがそういうの好きだった気がする」と友人が推薦してくれたり、『moon』を小学校時代に遊んでくれた子が、成長してゲーム作りに関わるようになった際に、僕に仕事を頼んでくれたり…あとは、友人の結婚式のウェルカムボード描いてくれませんか、という依頼を受けたり…。色々ありますね。
▲ウルトラ怪獣絵本の絵を担当
最近までは名前を出すことに対してもあまりこだわりがなかったが、個人で活動していく上では大事になるかも、と考え取材も積極的に受けるようにシフト。
Onion Gamesとの関わりを通して、クリエイターとして名前を出してもらえる機会も。
様々な仕事を受けていく中で、お話に絵をつけるのが特に好きだと気付く。
企画の人にお話やネタを考えてもらい、それに合わせて絵を描くのが好きだと感じる。
現在はゲームに限らず、色々な人と組んで様々な取り組みをするように意識しているそう。
仕事の幅を広げる為に動いているとのこと。
これからも繋がりと、血圧をあまり上げないことを大事にしながら生きていきます。
どちらも大事ですね(笑)。このあとめちゃくちゃやってみたい仕事とかってあるのですか?
ぬるっとQ&Aパートへ
今作っているゲームを面白く完成させる、というのはもちろんあるのですが、僕は物語を書けるスキルを持ち合わせていないので、今それを勉強しています。生きている内に自分で物語を書いた作品を出してみたいです。あとは、今タロットカードを描いています!今までゲームの中では2回ほど描いてはいるのですが、実物は初めてです。
あ、奥さんの宣伝で、4月9日に発売されたディーン・藤岡さんという役者さんが出版した絵本の絵を奥さんが担当しているので、是非手に取ってみてください!
▲タロットカード自体は昔から描いてきている
お!倉島さんも奥さんも面白そうな仕事をしているのですね。そのまま質問タイムに入りたいと思います!これはいつも聞いていることなのですが、タイムマシンで自分の歴史のある地点からやり直せるとしたら、やり直したい部分はありますか?
クリエイターとしての話は取っ払っての答えになるのですが、去年の年始に戻って、どこかしら海外の市場で「コウモリからウイルスが出るぞ!」と忠告したいのですが…1人で言っても狼少年じゃないですけど、日本語で何か言っている奴がいるぞ!ってなりそうですし、本当にその市場が出所なのかも定かではないので…やっぱりやめておきます。
あとは、戻っちゃったら『moon』を作れない気がするので。この魂じゃないとできなかった気がします。それこそラーメン屋とか別のことをやっている気がします。
辿ってきた道があるから作れるものってある気がしますよね。それでは、振り返った時に後悔しないようなクリエイター人生を送れる秘訣とは何だと思いますか?
人との繋がりも、もちろん大事ですしその時その時に全集中するのも大事だと思います。この後死んじゃうかもしれないから、本当に今を全力で生きてみちゃうのはどうでしょう?
倉島さんに言われると重みがある言葉ですね…。あとは、若い時は調子に乗るのも大事だということですかね?
あ、そうですね!あんなにイケイケで夜中にクラブ行っちゃう、というのはもうできない。他にも、「お前ら、どうしてこのセンスが分かんねーんだ」という反発も出てこなくなりますからね。
良くも悪くも謙虚になっていくのですかね(笑)。若いうちのパトスも大事、ということですかね。
そうですね、その時だからこそできることがあるので。
盛りだくさんな内容でしたね!それでは一旦ここで締めたいと思います。ありがとうございましたー!
ありがとうございました!
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