各回豪華ゲストを招き、キャリアヒストリーをインタビュー形式で紐解くクリエイターヒストリア。今回のゲストは、株式会社Luminous Productionsのシニアプロデューサー 、新小田 裕二(しんおだ ゆうじ)さんです。セガの店舗運営からゲームプロデューサーにまで登り詰めた彼の成功と挫折のヒストリーに迫ります。
ゲーム好きの少年がセガの店舗運営者に
小さい頃からゲームが好きだったという新小田さん。少年時代は駄菓子屋に置いてあったアップライト筐体や、ゲームセンターのアーケードゲームでよく遊んでいたそうです。中学生になるとレトロPCで『三國志』や『信長の野望』といったシミュレーションゲームに没頭していたのだそう。
当時はアドベンチャーゲーム全盛期だったので、そういったゲームも楽しんでいました。思い返すと、結構ゲーム漬けの日々でしたね。
かなり幅広いジャンルのゲームを楽しまれていたんですね。大学時代には様々なバイトをされていたと伺いました。何でも、そこでの経験がとても面白かったのだとか。
そうですね。カラオケや書店など様々なバイトを行っていたんですが、店舗運営を任せていただいたことがあって。所詮バイトなので経営の根幹まで関わることはありませんでしたが、店員が協力してお客様をお迎えする、というのが部活動みたいで楽しかったです。
バイトは皆学生なので、仕事が楽しくないと付いて来てくれません。とはいえお店の経営にも関わりますし、締めるところは締める必要がある。そこのバランスを取るのが面白かったですね。
就活では店舗運営に関わる仕事を軸に企業を探していた新小田さん。少年時代から好きだったゲームに関わりたいとの思いから株式会社セガに応募し、見事内定を勝ち取りました。
新卒でセガに入社されましたが、ゲーム開発ではなく、店舗運営を選ばれたんですか?
はい。実店舗への配属を希望しました。店舗運営はずっとやりたいと思っていた分野ですし、今後ゲーム開発をするにしても、現場でお客様の反応を知ることは大事なので。今振り返っても、とても良い経験だったと思います。
セガでの店舗運営から学んだことは何でしょうか。
交渉力、ですね。チーム間で意見を言い合うのって結構交渉に近いと思うんですよ。意見の食い違いがある場合、お互いが本質的に求めていることは何かを出し合った上で、その最大公約数は何かを交渉していく。
こういったコミュニケーションの取り方は一種の交渉術でもあり、カウンセリングでもあると思います。この部分はお客様との交渉などでも活かされているかな、と感じますね。
なるほど。では、大変だったことは何でしょうか。
ベテランのアルバイトの方に上司として指示をしなければいけないことですね。新卒なので、アルバイトの方よりも分からないことが多く、ベテランの方に舐められてしまって。休み返上で仕事を覚えたり、上手く関係を構築したりするのは結構大変でした。
既に完成されたチームに新卒で入るのは難しいことだと思います。上手く溶け込める秘訣や技はありますか?
現場の空気感を知って、コミュニケーションを取りながら各個撃破していくっていう、かなり原始的な方法で溶け込んでいきました(笑)。一人一人と会話をして共通の趣味を見つけたり、雑談の中で盛り上がって徐々に仲良くなったり……。地道に味方を増やして、仕事上でも円滑に回るようにしていました。
なるほど。同調圧力じゃないですけど、一人対複数人で意見を出した時に一人の意見は排除されてしまう、ということがありますしね。コミュニケーションを取って現場特有の空気感を一度変えてみる、というのはかなり重要なことかもしれません。
苦い経験から学んだ“正しい報連相”の重要性
セガでの店舗運営と経営をのべ10年ほど経験した後、新規プロジェクトでエンターテインメントの開発に参画することになった新小田さん。“次世代のアトラクションテーマパーク”の開園に向けて奔走していたそうです。
「みなとみらいプロジェクト」という、いわゆるIRのようなホテルを核としたリゾートを作る構想があったんです。その中に「次世代のアトラクションテーマパークを作る」という話があって。
そこにシルク・ドゥ・ソレイユのような常設型の大型劇場を作る話も上がっていて、その辺にも関わらせていただきました。シルクドソレイユの演出家と一緒に仕事させてもらったり、フロリダディズニーワールドに行かせてもらったり。
何だか聞くだけでワクワクしますね! 事前打ち合わせで話されていたことで、外部の方に結構怒られながらのお仕事だったと伺いましたが…(笑)。そこはどうでしたか?
店舗時代からですが、すごく怒られましたね。お箸の持ち方とか、それくらいのレベルからすごく怒られていました(笑)。もちろん、仕事に対する向き合い方についてもしっかり怒られて。「お前は仕事に対してどれくらい真摯に向き合っているんだ」と。
みなとみらいプロジェクトの外部のコンサル担当の方にはとても丁寧に接して下さっていたんですが、すごく年上の方で、最低限の礼儀を欠いてしまったら、朝に会議室に連れられて一時間くらいこってりと絞られました…(笑)。
でも今では本当に為になっていて。礼儀やマナーって外部の方だけじゃなく内部のチームにも当然必要なことですし、こういう苦い経験があったからこそ、今の仕事に確実に活かせていると思います。
やはり礼儀やマナーは仕事で重要になってきますか?
そうですね。言葉遣いやコミュニケーション、情報伝達に関してもそうで、報連相の粒度は高く持っておく必要があると痛感しました。たとえば、内部の人間に情報を伝達する際は多少粒度が荒くても何となく伝わりますが、その粒度で外部の方に伝えると必ず綻びが生じてしまいます。
当然といえば当然ですが、外部の方はこちらのルールや事前情報は知らないので、足りない情報は必ず補完した状態で共有しないといけません。僕自身外部の方とのお付き合いが初めてだったので、そこが甘かったと思います。上司に怒られてハッとしました。まさに頭を殴られたような感じでしたね。
当時の新小田さんもかなり真剣に向き合っていたと思うんですが、それでもさらに深く向き合う必要があったんですね。
相手の立場に立つっていうのがどれくらい大切か痛感しました。「自分が持っている情報は相手も持っている」という前提で報連相しがちなんですけど、そんなワケはなくて。「足りない情報」に対してどれだけ気づけるか。「先週話したことを相手が覚えている」っていう前提で話しちゃダメなんですよ。
普通色んな仕事をしている中で、ちょっと話したことを次の週になっても覚えている、ということは中々難しいですよね。それなのに「先週話したことですが、どうですかね」みたいな感じで話を振ってしまうのは、非常に失礼にあたると思うんです。
まずは前回の話の振り返りをした上で「こういう宿題をいただいていたので、今週こんなアウトプットをしてきました。いかがですか?」みたいに、ちゃんと情報の補完をしてあげるっていうのがものすごく大事。それは上司部下に関係なく必要な配慮だと思います。
ビジネス畑から一転、35歳でゲームプロデューサーに
みなとみらいプロジェクトが中止になった後も、様々な新業態開発やアトラクション開発を経験された新小田さん。ちょうど世間ではモバイルゲームが流行ってきた頃で、社内でもアーケードゲーム『戦国大戦』をモバイルゲーム化させるプロジェクトが発足したそうです。
当時の上司に「新しいものに対する感度が高いから、新しい取り組みをプロデューサーとしてやってみたらどうだ」と言っていただき、初めてゲームプロデューサーに任命されました。
その頃のセガのゲームクリエイターにとっては、チャレンジ領域だったんですかね。
そうですね。もともとはアーケード筐体の開発部署でモバイル専任部門ではないですし。当時のトップは「新しいものに対して敏感に・積極的に投資をしていこう」という考え方だったので、数名の小さなプロジェクトチームを立ててやっていました。1、2年間で5、6本ペースでやっていましたね。
アプリゲームの開発もスタートしたんですが、当時はFree-to-Playのゲームが一般的ではなかったので、そういうプロジェクトは少ない予算で複数作っていましたね。
開発に関わること自体が初めてだったので非常に新鮮でした。当時プログラマーのマネージャーの方が『戦国大戦』のモバイルのお手伝いをしてくれたんですが、その方に「開発現場を知らない状態でプロデューサーをやるのは難しいから、プランナーの勉強もしておけ」と言っていただいて。
シナリオを書いてみたり、仕様書を書いてみたりして、プランナーの仕事も理解できるようになりました。
35歳で新しいチャレンジをすることには抵抗はなかったですか?
全くなかったです。むしろ定期的に新しい環境に行かないと、脳が退化していくんじゃないかと思っちゃうタイプなので(笑)。
これは僕の持論なのですが、市場的に人材として評価されるのは10年間で一つのことを続けていれば外部から評価されると思っていて。自分自身10年間店舗運営や経営に携わっていましたし、それなりに自信もあったので「何か新しいものを取り入れるのは、自分のポテンシャルを磨くチャンスだ」と思いました。
新小田さんが語る“良いディレクター”の条件とは
では、ここからは新小田さんの転機となった『チェインクロニクル』(以下、『チェンクロ』で統一)についてお伺いします。『チェンクロ』のディレクターである松永さんのことを「この人はすごい」とよく仰っていますが、具体的にどういったところがすごかったですか?
まず土台として「人を楽しませること」に対してすごく意識が高い。いわゆる「ポチポチゲー」と言われていた当時のソーシャルゲームに対して、“人とは違う体験”を上手く入れられるのがすごいと思います。
それに企画が素晴らしいのはもちろん、松永さん自身がゲーム開発におけるロジックを持っているから、チームメイトの様々な意見を柔軟に取り入れることができるんです。
たとえ本筋から離れた意見が上がったとしても、自分の中にしっかりとした核があるから“良いところ”だけを取り入れて、マージすることができる。「本当にこの人は天才だな」と思います。
これまでたくさんのディレクターとお仕事されてきていますが「良いディレクター」とは、どういったことができる人だと思いますか?
人それぞれではありますが、やはり「アイデアと仕様に真剣に向き合って考え尽くすことができる人」じゃないですかね。たとえばA・B・Cのパターンの中で自分はAをやりたいけど、チームメンバーからは「Bのほうが良くないですか?」と言われたときに、ちゃんと一緒に考え尽くすことができるか。
もちろん開発には物理的な制約がありますが、時間とお金も含めて最適解を考えきる力はディレクターには必要だと思います。それこそ「何日も徹夜して考え尽くす」くらいの情熱が必要なので。……そう考えると僕にはディレクターは無理ですね(笑)。
「ここまで考えきったぞ」と思っていても、実はもっと良いパターンがあった、なんてこともありますしね。では、プロデューサーの立ち位置はどのように考えられていますか?
ざっくりいうと、ディレクターはクリエイティブに責任を持つ人で、プロデューサーはビジネスに責任を持つ人。僕的にはプロデューサーとディレクターは上下関係がなくて、バディというか、運命共同体だと思っていますね。
それと「ディレクターの一番のフォロワーとして動く」のがプロデューサーの大事な役割だと思います。ディレクターのやりたいことを実現できるように、企画の魅力をチームに落としていく、みたいな。「いかにディレクターの企画の味方を増やしていくか」がプロデューサーの大きなミッションだと思います。
プロデューサー観点でのチームコミュニケーションで心がけていることは何でしょうか。
クリエイティブの決定権はディレクターに委ねています。その上でプロデューサーとして「こういう見せ方じゃないと、お客様には伝わらないよ」といったアドバイスを行っています。1on1で話し合って理解してもらってから、ディレクター自身の言葉でチーム内に落とし込んでもらっていますね。
プロデューサーは直接チームに「これはだめ」とか「こうやってほしい」といった指示を出すのは禁句だと思っているんです。直接現場に言った方が楽かもしれませんが、そうなるとディレクターの立場がなくなってしまうので。
確かに、直接現場に伝えた方が楽な時はありますが、そこをしないことがいいチーム作りに繋がるのだと思います。プロデューサーとしての立ち位置としては大事なところですね。
ビジネス畑から一転、ゲームプロデューサーとしてヒットタイトル『チェンクロ』を手がけた新小田さん。成功に隠された挫折と、そこから得た経験とは一体どんなものなのでしょうか。新小田さんのヒストリーは後編に続きます!
後編
クリエイターヒストリアとは
クリエイターヒストリアとは、ゲーム業界でお仕事をしているデザイナー、プランナー、エンジニアなどのクリエイター向けに、キャリアデザインをテーマに実施するセミナーイベントです。 業界で成功を納めているクリエ[…]